大分の城003  

                                                                               

櫛野城  1739
城址碑

櫛野橋
A宇佐市院内町櫛野
  旧:宇佐郡院内町
B櫛野橋

国道10号線法鏡寺の信号から国道387号線に入ります。8Km先が宇佐別府道路の院内インタです。右手の山が妙見岳です。さらに2Km先、橋の手前で斜め右に入り、櫛野集落に入り、院内北部小学校方面へ進みます。350m先で右折すると櫛野橋です。この橋の袂に城址碑と説明板があります。院内町は石橋の町です。旧院内町内には大小74の石橋があるそうです・この内、櫛野橋の袂に櫛野城の城址碑と説明板があります。遺構はないようです。

C平城
F遺構等:碑・説明板 
G室町期/櫛野氏 
H満足度:凸

天文年間(1532〜54年)木付親実の弟の茂春が櫛野の地頭となり、櫛野和泉守鎮助と名乗り、ここに築城しました。100m*200mの大きさで周囲に堀を巡らした平城であったようです。弘治二年(1556年)に大友義鎮に降り、義鎮の子の義茂を養子に迎えました。大友氏方として、妙見岳城の田原親賢に従いました。天正十七年(1589年)に中津城に入った黒田氏に降り、城は廃城となりました。

J訪城:2007/07
  
妙見岳城  1740
城跡遠望
@ みょうけんだけじょう 
   別名:妙見山城・極楽寺城
A宇佐市院内町香下
 旧:宇佐郡院内町
B香下ダム

国道10号線法鏡寺の信号から国道387号線に入ります。8Km先が宇佐別府道路の院内インタです。右手の山が妙見岳です。さらに700m先で右折し香下ダムに向かいます。ダムを越えてダム湖沿いに1Kmほど行くと右手に登山口があります。香下神社からも登れるようです。

C山城
F遺構等:(郭・堀切・畝状竪堀)
G室町期/杉氏・田原氏 
H満足度:途中断念

築城時期は定かでないようですが、天慶三年(940年)に藤原純友が官軍を防ぐため城を築いたとされるようです。妙見岳城は極楽寺城とも称しました。応安年間(1368〜74年)からは豊前守護の大内氏の所領で、杉氏を城代として配したとされます。天文元年(1532年)、守護代杉氏は大友氏の侵攻に抗しますが、天文七年(1538年)に大内・大友両氏の和議が成立し、大友氏の支配下となりました。大友義鎮は、城に田原紹忍を入れて毛利氏の侵攻の防衛拠点でした。中津城の黒田氏支配となり、慶長六年(1601年)に廃城になったようです。
J訪城:2007/07
 ←登り口
登り口の碑
登り口付近から
鳥居橋

鳥居橋

石橋の貴婦人と呼ばれています。宇佐から来ると、最初の大きな石橋で、大正五年(1916年)にできたそうです。鳥居橋は5連ですが、中津市耶馬溪町の耶馬溪橋は8連で116mあって日本一の長さらしいです。鳥居橋は55mあるようです。