道案内 |
京都縦貫道の亀岡インタを下り、国道423号線を能瀬方面に進みます。13km先、妙見口の信号で右折し府道4号線に入ります。1.4km先の野間峠をつづれ折れの道で越えます。京都府から大阪府に入ってから3km先が野間中の信号です。直進するとすぐに天然記念物「野間のけやき」の大木があります。300m先がY字で左手が府道604号線で右手が府道4号線です。ここから府道4号線を猪ノ子峠を越えて2.8km先で右手方向に田尻川沿いを進み、1.2km先で府道106号線を横切ります。3.5km先の信号で左折し、府道104号線(府道4号線と供用)に入ります。100m先の信号で右折し、府道4号線に入ります。1.4km先が国道173号線との交差点の栗栖の信号で直進し府道602号線に入ります。500m先右手の岐尼神社(蓮華寺の南)に駐車させていただき、西中の西側の道を山に向かって進み、突き当りから斜面を直登するか、西中の東側の少林寺の裏手を直登してた尾根が城跡です。
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訪城備忘録 |
登りは西中の西側のコンクリート道をまっすぐに山に向かって進みました。中腹に民家が一軒あり、犬がよう吼えます。民家の前で右手に少し進み、廃車の車が置いてある付近から斜面の畑地を登り、あとは尾根まで直登しました。最初に東の郭付近に出ました。この城は一段高い主郭を中心に東西に郭を配し、南側に3つの郭をつなぐ幅広い横堀があり、東の郭の外側には二重の堀切、西の郭の外側には深い堀切があります。三つの郭はどれも周囲を土塁が巡っています。主郭の中央には建物の基壇のような石列がコの字状に並んでいました。小規模の城ですが、コンパクトにまとまっていて、土塁の高さ、堀切の深さも明瞭でなかなか見ごたえのある城でした。ただ、主郭の基壇石列がお堂か神社の跡のようにも見え、もしかしたら神社の跡なのかもしれませんが・・・。帰りはまた斜面を下りていきましたが、少し東に下りてしまったところ、西中の東側の少林寺の裏手に下りてきました。
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主郭と土塁
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平安末期に多田源氏、多田満政(源経基の次男)とともにこの城が史料にあるようですが、築城時期などは定かではないようです。天文年間(1532〜54年)に森本景久が再築城したようです。天文十八年(1549年)に、多田の塩川国満が侵攻、この城には能勢小重郎が居城し、近くの山田城などとともに塩川氏と合戦(枳根宮合戦)し、塩川氏を撃退したと伝わります。天正七年(1579年)に織田信澄・塩川長満などの織田軍の侵攻で落城したと考えられます。
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