摂津 / 安威砦



ファイルNo1822

小規模ながら明瞭な遺構が残る

                                  堀切   

@ あいとりで 
  別名 

A住所:茨木市安威4丁目
B目標地点:茨木市水道部安威配水場
C形式:山城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・堀・説明板・碑
G時代/人物:室町期/安威氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  説明板(麓から)から10分

J撮影・訪問時期:2008年01月・2016年02月

  

道案内 

名神高速道茨木インタを下り、国道171号線を京都方面に進みます。1.2km先の西川原西の信号を左折し、府道46号線に入ります。900m先の名神高速道下の信号(耳原交番前)でやや右手方向に府道は進みます。2.1km先で左折し、すぐにまた左折し坂を上ります。150m先右手に登る急坂の道がありますので、ここに右折します。150mをいっきに急坂を登ると茨木市配水場です。前はこの正門横に説明板と石碑がありましたが。今は麓に説明板と石碑があります。元の説明板の裏側の小道を5分も歩けば城跡ですが、配水場への坂道は立入禁止となっているため、麓の説明板から斜面を登るしかないですね。
 
訪城コメント

この斜面は夏場だと藪状態なんでしょうな。城域の南端に到達すると左手に郭下を巡る横堀が現れます。その向こうが配水場のフェンスというのはなんともいただけませんがね。右手には竪堀状に落ち込んでいます。こちらにも堀が巡ります。そのまま右手を進むと明瞭な堀切があります。なかなかしっかりと残っていました。右斜面に竪堀が落ちています。上に登ると二の郭で堀切側に土塁が横たわり、西側は分厚く櫓台のようです。ここが主郭ですね。そのまま北側に進むと薄い堀切があり三の郭があります。低い土塁が巡っていました。二、三郭の間の堀切を西側に下りると麓に向かって北斜面に竪堀が落ちています。これは竪堀か?城道か?はたまた、後世のものか? 主郭西下にも横掘の痕跡があります。小さな城郭ですが、遺構はしっかりと残っており、なかなか楽しめる城跡でした。

説明板と石碑
歴史

築城の時期は不明のようです。伝承では鎌足の城とか楠木氏の城とも言われるようですが、伝承の領域で、遺構は戦国期のもののように感じます。また、砦となっていますが、安威城の詰城というのが妥当な感じがします。大永六年(1526年)の桂川合戦の時、史料に芥川城、茨木城、安威城、福井城、三宅城が記されているようです。安威弥四郎の子で秀吉の家臣であった安威五左衛門了佐(のりすけ)が、中川氏の移封後に秀吉の直轄領になった茨木城の城代になった天正十四年(1586年)に廃城になったと考えられますが、その後、豊後竹田に移封された中川氏の家臣となった安威氏の系譜によると、了佐の子の勝宗は安威城主だったと記載があるようです。<現地案内板参考>
一の郭と二の郭の間の深い堀切
二の郭(主郭)土塁
一の郭下横掘り                         竪堀

一の郭下横堀                         二の郭(主郭)土塁

三の郭と土塁                   主郭と三の郭の堀切

  三の郭下堀                    二の郭と三の郭の堀切
二の郭から堀切・土橋を見る                     三の郭西下竪堀    
  
現地説明板より                    城跡遠景

近くの城・関連の城: