越後/  北条城



ファイルNo1443

         現存の大手門(専称寺)

@ きたじょうじょう 
  別名 

A住所:柏崎市北条
B目標地点:専称寺・普広寺
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:(郭・堀切・堀・土塁)
G時代/人物:鎌倉期/毛利氏(北条氏)
H満足度: 途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  −−分

J撮影・訪問時期:2006年04月

  

道案内 

北陸自動車道の柏崎インタを下り、国道252号線を十日町方面に進みます。5km先の鳥越の信号で斜め左に入り国道291号線に入り、信越本線と平行に進みます。2.8km先の北条駅前で左折します。250m先T字の左手が専称寺、右手に進んだ奥が普広寺です。
 
訪城備忘録

時間が無かったため、麓まで行って専称寺の大手門だけ見てきました。普広寺には搦手門も残っているようです。城跡には多くの郭、土塁、堀、堀切、竪堀など残っているようです。いつか再訪したいものです。

城跡遠景
歴史

北条氏は大江広元を祖とし、平城天皇を受け継ぐとされます。広元の孫の毛利経高が宝治元年(1247年)の三浦の乱に敗れた以後に越後に移住、時元の時に北条氏を名乗ったようです。北条城の築城時期は不明ですが、時元によって築城されたようです。その後、北条氏と居城として続き、戦国に入り、城主は高広で、高広は長尾為景・景虎に仕えましたが、天文二十三年(1554年)に武田氏に通じて景虎に対立しますが、翌年、城は落城して再び景虎に仕えました。天正六年(1578年)の御館の乱では三郎景虎に味方し景勝方と戦うものの、天正九年(1581年)、子の景広は討死し、三郎景虎が自刀した後、北条城は落城し、高広は越後から去ったようです。


  

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