越後/ 与板城



ファイルNo1439

直江兼続の城

                         堀切

@ よしたじょう 
  別名 

A住所:長岡市与板町与板
    旧:三島郡与板町

B目標地点:法立寺
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切
G時代/人物:戦国期/直江氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2006年04月

  

道案内 ←登り口

北陸自動車道の中之島見付インタを下り、料金所から左に出て、いったん国道8号線に入りますが、すぐに左折して県道498号線に入ります。1.6km先の中之島の信号で左折し県道20号線に入ります。4.5km先で国道403号線に合流し直進します。合流から1.4km先の与板橋で信濃川を渡ります。渡った先の与板橋西詰の信号で左折し、250m先で斜め右に進みます。与板の市街地を進み2.3km先の千体橋の信号で右折します。600m先の左手が法立寺で、この横の八坂神社背後から城址に登れます。あるいは、その先の不動明王からも登れます。
 
訪城コメント

神社から急な坂を登って行くと、段郭を両サイドに見ながら(つういても藪)主郭に到達します。そこから尾根上に二の郭、三の郭等が続き、郭間は堀切で切断されています。その先に千人溜りと呼ばれる広い空間もありますが、唐突に広い空間で、違和感があります。天下の直江兼続の城という気持ちで登ったのですが、基本は平凡な連郭式の城でありました。けっして技巧的でもない、巨大でもない、質実剛健の城という感じでしょうか。 

主郭土塁
歴史
宝治三年(1451年)頃より与板を治めていたのは越後守護上杉氏の重臣の飯沼氏でしたが、永正四年(1507年)の守護上杉房能と守護代長尾為景の争いで、飯沼頼清は居城の本与板城を長尾為景に攻められ滅亡しました。その後、天文十五年(1546年)頃にこの地には長尾為景の家臣の直江実綱が入りました。実綱の跡は実綱の娘婿の信綱が継承しましたが、御館の乱直後に殺害されたため、上杉謙信の継承した上杉景勝は、直江家の断絶を惜しみ、信綱の未亡人お船(実綱の娘)に樋口与六を婿として直江家に入れて、直江兼続として直江家を存続させました。兼続は旧本城の本与板城を整備しつつ、新城として与板城を築城し、本拠を移しました。慶長三年(1598年)、景勝が会津120万石に移封に伴い兼続も米沢に移ったため、与板城は廃城になりました。

堀切                 千人溜
主郭下帯郭                堀切

  
現地案内板より

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