大和 / 高取城



ファイルNo1572

近世三大山城のひとつ 山全体が石垣という感じ

             天守台石垣  

@ たかとりじょう 
  別名 高取山城 

A住所:高市郡高取町上子島 
B目標地点: 
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・石垣・堀切・堀・土塁
  ・石碑・説明板
・移築門・重臣屋敷 

G時代/人物:戦国/越智氏・本多氏
      江戸期/植村氏
H満足度:
凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  壷坂口門から20分・麓より60分

J撮影・訪問時期:2002年05月・2009年7月・
         2013年11月 2018年11月 他

  
天守台下城址碑
新櫓

道案内】 ←壺阪口近くの登り口
 ←七つ井戸下からの登り口 ←麓からの登り口

西名阪自動車道香芝インタで下り、国道168号線を南に進みます。2.5Km先の下田の信号で左折し国道165号線に入ります。5Km先大和高田市内で国道は大きく右にカーブします。さらに2Km先、今里の信号で左折します。4.5Km先の橿原市の小房の信号で右折し国道169号線に入ります。(あるいは、西名阪自動車道郡山インタで下り、いったん国道24号線に出てすぎに右手の京奈和自動車道も郡山南インタに入り、約10Km先の橿原北インタで下ります。2.8Km先の曲川町東の信号で右折し国道166号線に入ります。2.8Km先が小房の信号で右折し国道169号線に入ります。) 橿原神宮を右手に見ながら6Km進み、高取町内の信号で左折し集落を超えたところに高取城の登山口があります。  高取町の下土佐の信号から1.5Km先、国道169号線の清水谷の信号で左折し県道119号線に入り2Km先が壷阪寺があり、ここより3Kmほど山道を登ったところに壷阪口門からの登城道があります。
あるいは、町を抜けて、宗泉寺下まで車で行けますので、そこから二の門まで歩きで登ります。
 



【訪城備忘録】

高取城は備中松山城(岡山県)、岩村城(岐阜県)とともに、江戸期にはめずらしい山城の近世城で、日本三大山城と言われます。この三城ともに山全体が総石垣という感じで、壮大で圧巻です。その中でも、高取城は石垣の城域が三城の中では一番広域ではないでしょうか。各所で石垣を積み直しされてもいますが、刻紋3ケ所、転用石(古墳の石)を探しながら見てあるくのも面白いです。弥勒の堀切は石垣作りの堀切です。これも近世の城ならではでしょうかね。

2009年7月再訪
町を抜けて宗泉寺そばから徒歩で登りました。往時も大手道だったんでしょうが、けっこうきつい^^; 江戸期は警備以外の人間はほとんど登らなかったちゅうのがよく分かる・・・。二の門そばに猿石があります。古墳時代のもので、築城(改修)時に石垣用として運び込まれたようですが、高さが80cmくらいあってけっこう大きいし、石に刻まれた顔も鮮明で、少し感動したです。二の門そばの水堀(池)もけっこう大きいもので、こんな形で山上に水源をもった城はめずらしいです。これより大手門までは随所に郭・門と石垣があるのですが、夏場で草が伸び放題で残念でした。その中で、国見櫓からの眺望はよく、今の高取城の眺望の中では一番のポイントですね。この付近、矢場門から松ノ門までの石垣もなかなかいい感じです。宇陀門、千早門を過ぎると主要部です。ここからは圧巻の高石垣群です。

2013年11月再訪
紅葉の一番いい時期に訪れました。また、主要部のみならず、岡口御門跡の堀切、2002年には一度訪れた弥勒の堀切、その時は、あまり記憶に残っていなかった弥勒の堀切へ行くまでの道筋にある石垣、堀切、登り石垣など、山上の主要遺構はほぼ見学させていただきました。この日は晴天であり、国見櫓からの眺望も一段と映えており、めいいっぱい、1日1城を堪能致しました。

2018年11月再訪
紅葉はやや早い感じでしたがそれでも綺麗。今までと違い驚くほど訪問者が多かったです。吉野口郭など前回で見ていないところも含め、前回同様に一日高取城で楽しませていただきました。木などの伐採も進んだんでしょうか、前回よりさらに遺構が見やすくなってました。

【歴史】

正慶元年(1332年)に大和の豪族の越智邦澄によって築かれたとされます。天正八年(1580年)に織田信長の廃城令によって一時廃城となりましたが、天正十二年頃には筒井順慶によって再建され、家臣の加蔵弥八郎が在城したと伝わります。天正十三年(1585年)には順慶の子の定次が伊賀上野に転封となり、大和・紀伊・和泉を領した豊臣秀長が大和郡山城に入り、高取城は家臣の本多太郎左衛門・利朝親子が入りました。文禄四年(1595年)に秀長の養子の秀保が没すると、利朝は秀吉より一万五千石で独立した大名となりました。関が原の戦いで東軍に属し、二万五千石に加増を受けますが、寛永十四年(1637年)に利朝の子の利家が没し、本多氏は無嗣断絶しました。一時幕府管理を経て、寛永十七年(1640年)に植村家政が二万五千石で入り、以後、明治維新まで植村氏が続きました。

  
堀切
堀切
  
弥勒の堀切
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本丸虎口の写真
現地案内板より
国見櫓からの眺望
正面の二上山の右横にハルカスも見えます。

近くの城・関連の城:

          

大手門石垣 
二の丸への虎口(二の丸郭内から)
本丸石垣(補強用か二段石垣)
本丸石垣(南面)
七つ井戸上から新櫓
.聳え立つ石垣
二の門そば水堀
猿石
岡口門石垣
弥勒の堀切石垣
高取城の紅葉
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