肥後 隈本城
+刑部邸



ファイルNo1692


                         古城堀端公園そばの石垣   

@ くまもとじょう  ▽ 
  別名 熊本古城 

A住所:隈本城⇒熊本市古城町(古城堀端公園)
    刑部邸⇒熊本市古京町
B目標地点:古城堀端公園

C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:高校・公園・宅地

F遺構等:石垣??
G時代/人物:戦国期/
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2004年04月

  

道案内  ←古城堀端公園   ←刑部邸

私は電車で行ったので、車の道順がわかりません。^^;; 熊本駅から市電3号線で熊本城前まで乗り、進行方向左に行くと行幸橋から入ります。車の場合は、桜の馬場駐車場・二の丸駐車場あるいは刑部邸そばの三の丸駐車場に留めることになります。隈本城の古城堀端公園は、行幸橋から坪井川沿いを東に歩いて行きます。いったん川沿いから外れますが、船場橋を渡り次の信号で右折し、高校前で左側の路地に入ります。 刑部邸は二の丸公園から、北西側の三の丸地区熊本博物館の裏手です。 
訪城備忘録

熊本城が隈本城と呼ばれた頃の古城地区がこの堀端公園周辺です。公園そのものには遺構らしきものはありません。高校の敷地が台地上にあります。この斜面の石垣は熊本城の中心部の石垣より古めかしい積み方に見えます。江戸期はこの周辺は武家屋敷であったようです。

古城堀端公園
歴史

隈本城
文明年間(1469〜87年)に菊池氏の一族の出田氏が茶臼山に築城したのが隈本城でした。天正十五年(1587年)に豊臣秀吉の九州征伐後、越中富山城主であった佐々成政が城主となりましたが、失政により秀吉より切腹させられ、肥後は北半分を加藤清正、南半分を小西行長が領し、清正は隈本城に入りました。関が原の戦い後、肥後一国を領した清正は慶長六年(1601年)に城を大規模に改修し、慶長12年(1607年)に隈本から熊本に改めました。

刑部邸
細川(長岡)刑部家は細川三代藩主忠利の弟の刑部少輔興孝より1万石格として明治まで続きました。旧刑部邸は移築復元されたものです。

古城石垣              刑部邸長屋門
刑部邸玄関                        刑部邸室内
  

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