土佐/ 高知城



ファイルNo1493

現存天守と本丸御殿が現存。

        天守(現存) 

@ こうちじょう 
  別名 大高坂城

A住所:高知市丸の内 
B目標地点:高知公園 
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・市街地 

F遺構等:郭・現存天守・現存門・現存櫓・
     復元門・石垣・水堀 碑・説明板

G時代/人物:戦国・江戸期/長宗我部氏・山内氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  大手前駐車場から15分

J撮影・訪問時期:2006年05月

  
追手門

【道案内】  ←追手門

高知自動車道高知インタを下りて、県道44号線の信号で右折します。県道を2.6Kmほど進み愛宕山の信号で左折し県道16号線に入ります。1.8Km先でJRを越え、750m先の信号で右折した先が城跡です。



【訪城備忘録】

四国現存4城の中で、山の高さと天守の大きさもあるでしょうが、麓からみる城の姿としては一番美しくバランスがとれているという感じです。追手門(享和元年<1801年>の建物)を抜けて杉の段・三の丸・二の丸と進みます。本丸は天守・詰門・廊下門・本丸御殿・多聞櫓などが現存しその全体は優美です。


【歴史】

南北朝期に南朝方の大高坂松王丸が砦を築いたのが始まりとされます。天正十六年(1588年)に長宗我部元親が再築城し岡豊城よりここに本拠を移しました。しかし、水害に悩ませれたため、天正十九年(1591年)に浦戸城を築き移ったとされます。関が原の戦い後に、山内一豊が土佐一国の領主として入り、慶長六年(1601年)より、ここに築城を開始し、慶長八年(1603年)には本丸・二の丸が完成しました。二代藩主の忠義がこの地を「高智」と改め、後に「高知」となりました。享保十二年(1727年)には大部分の建物が焼失しましたが、三の丸まで再建されたのは宝暦三年(1753年)でした。現在残る天守は寛延二年(1749年)に再建されたものです。


現地説明板より
  
  
詰門
  
二の丸への階段
  
  

近くの城・関連の城:

          

  天守        廊下門と西多聞櫓
   
    三の丸石垣    修復中の三の丸石垣栗石
内堀        城址碑
本丸御殿と天守    黒金門側石垣 
本丸下石垣