土佐/ 朝倉城



ファイルNo1492

空堀・堀切・土塁が随所に残る規模の大きな中世城郭

          堀  

@ あさくらじょう 
  別名 重松城 

A住所:高知市朝倉丁(北城山) 
B目標地点:朝倉駅・北城山公民館 
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・堀切・堀・説明板 
G時代/人物:戦国期/本山氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  北城山公民館から15分

J撮影・訪問時期:2006年06月

  
主郭西側堀切

【道案内】  ←公民館の場所

高知自動車道伊野インタを下り、右折して国道33号線を高知市内へ進みます。高知西トンネルを越え、2Km先のJRを越えた先の信号で右折します。800m先で右手朝倉駅、左手高知大学の信号で斜め左折方向に進みます。(国道56号線旧道) 400m先のバス停のあたりで右折します。(道路沿いに城の案内があります。) 細い坂道を上がり、200m先のT字で右折しさらに100m進むと右手に北城山公民館があります。ここには朝倉城の縄張図案内板があります。車ではここに止めさせていただいて、徒歩にてさらに上に進みますと、丘陵上の農道に突き当たりますので右手に進むと城跡へ入る入口の標識の場所に至ります。この農道はどこか麓からこれるのでしょうが無理はしないほうがいいと思います。(だぶん朝倉中学校の東側の細い道を北に進み500m先で大きくU字にカーブした先が城跡の登り口のようです)




【訪城備忘録】

城跡標識から山に入るとすぐに堀切・竪堀地形に出会います。この山は蝮が多いという事でピリピリしながら歩きました。いったん畑地に出て再度山道を進みますと明瞭な土塁横堀形状の箇所に出ます。ここで蝮かどうかわかりませんでしたが蛇に遭遇してドキッでした。右手方向に登ると主郭西側下に至ります。その箇所までの左手竹薮には石積みがあったりしますが昔の畑地跡のようです。主郭には一部三日月状に土塁が残り、城址碑・説明板が設置してありました。主郭北側に下りていくと井戸が残っています。この山全体に堀切・竪堀・土塁・横堀の遺構が残るようですが、主郭までは一応整備されていますが、それ以外は藪がきついのと蛇君が気になって動き回りにくいです。帰りは少し南側の道を辿りましたが、途中に大きな二重空堀があったりして、規模の大きさを楽しめました。


【歴史】

この城は古くは重松城と呼び、本山梅慶(茂宗)は天文九年(1540年)にこの城を築き本山城より移りました。永禄三年(1560年)に始まった長宗我部氏(国親)との争いに抗戦しましたが、永禄六年(1563年)に梅慶の後を継いだ子の茂辰はこの城を焼き払い本山城に退去しました。本山氏は茂辰の子の貞茂(のちに親茂)の時に長宗我部氏(元親)の降伏し、長宗我部氏に属しました。


現地案内板より
  
  
空堀と土塁
  
主郭西側下
  
  

近くの城・関連の城:

          

主郭
 井戸       西側の郭(石積みは遺構ではないでしょ^^;)