道案内 ←城域・石垣遺構があるという情報がある個所
←登城口(推定) ←小学校東からの登り口 |
山陽自動車道の山陽姫路東インターで下り、料金所から高速の側道のような国道372号線を進みます。1.3km先の山陽姫路東IC東の信号で右折します。国道372号線を信号から500m先で右折する路地がありますので、ここを右折します。すぐに城跡の説明板があり、正面に城山中学校、背後に城山が見えます。城山には登るには、城山の南側の谷外小学校の西側、医王寺・住吉神社・大歳神社の背後から登れるようです。それでも道は途中までで後は踏み跡を探りながら尾根まで登るようです。登りきった所が西の峰でそこから尾根上を東に進んで東の峰となるようです。 2018年時点で谷外小学校の東側から登る道が整備されているようです。また、標識などもあるようですが、整備されていると言ってもなんとか登れる道筋がわかる程度のようです。その後、現地がどうなっているかの情報は持っていません。
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訪城備忘録 |
2008年は夕暮れに訪れたので、登るわけにも行かず断念しました。2014年では、城山中学周辺から登り口があるかと思い探しまわりましたが、それらしい道はなく、谷外小学の西側の天神社の背後から登ってみましたが、途中で進めなくなり、東に移動したら砂防ダムがあって向こうには渡れずで断念です。城跡は姫路の中世城郭では最大級のものであり、石塁、堀切、井戸など残るようです。東の峰ピークへ登る手前(主郭北側下)に石垣も残るようです。
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説明板
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貞和五年(1349年)、赤松則村(円心)の次男の赤松貞範が築城し、姫山(今の姫路城)から移ったとされます。この後、小寺正隆が本城の御着城を嫡男の則職に譲って庄山城に移ったとされます。さらに、享禄三年(1530年)には小寺正隆は浦上村宗に攻められ、庄山城で討死したと伝わります。
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