播磨/ 福原城



ファイルNo1846


           主郭?  

@ ふくはらじょう 
  別名 佐用城 

A住所:佐用郡佐用町佐用
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:神社・田畑

F遺構等:郭・土塁・堀切・説明板
G時代/人物:南北朝期/佐用氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社下から2分

J撮影・訪問時期:2008年03月

  

道案内 

中国自動車道の佐用インタを下り、料金所の先の信号を右折し、国道373号線に入ります。2km先の上町の信号で右折し、国道179号線に入ります。2.5km先、国道沿いの右手に福原城(佐用城)の案内標識がありますので、そこの路地に右折します。道なりに300ほど進んで右手に登ると神社があり、ここが城跡です。

 
訪城備忘録

郭は畑になっていますが、城の旧状は残っているように感じます。主郭と思われる畑地はL字に土塁が巡り、土塁の上に神社があって、ここに説明板もあります。土塁の背後は切り通し状になっていて堀切のようです。ここを抜けて、主郭の北側に廻ると、土塁がわかり易く、また、堀跡かなと思われる窪みが土塁に沿って巡っています。

土塁上の神社(福原霊社)
歴史

建武年間(1334〜38年)に佐用兵庫介範家によって築かれたとされます。その後、赤松氏の一族の福原氏が居城としました。天正五年(1577年)に羽柴秀吉の軍に攻められ落城し、福原藤馬允則尚は討死した、あるいは、逃れたものの高尾山円福寺で自刃したと伝えられます。城はこの時に廃城になりました。土塁上の神社は福原霊社と言い、則尚の首級を祀るために建立されたもので、頭痛に効くそうです。

郭        堀切?
土塁
  

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