播磨/ 端谷城



ファイルNo1817

神戸市でもここは播磨の国

             堀切  

@ はしたにじょう 
  別名 衣笠城・朝掘城 

A住所:神戸市西区櫨谷町寺谷
B目標地点:満福寺・寺谷公民館
C形式:山城  D比高:40m 
E現況:山林(公園)・寺

F遺構等:郭・土塁・堀切・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期〜/衣笠氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺下から10分

J撮影・訪問時期:2008年01月・2018年03月

  

道案内 

山陽自動車道の三木東のインターを下り、県道85号線に左折します。600m先の御坂の信号で直進して県道83号線に入ります。6Km先の西盛口の信号で神戸電鉄を越えます。さらに3km先の高和橋の信号で左折し県道65号線に入ります。左手に農業公園(神戸ワイン城)、右手に西神工場団地を見ながら、5km先で側道に下り、福谷東の信号を左折し、県道52号線に入ります。1.4km先の寺谷のバス停を過ぎてすぐの路地を左折し、さらに右折し小さな橋を渡ります。正面が寺谷公民館です。丘陵先端部に満福寺があって、この背後が城跡です。昔に比べ案内標識、説明板が増設されていました。
 
訪城備忘録

寺下は狭く駐車はしにくいため、公民館の駐車場をお借りします。公民館の横を通り寺に向かいます。寺下には城址碑が立っており、この辺に居館があったとの事です。坂(または石段)を登ると満福寺です。ここに「衣笠範景公顕彰碑」が建ってました。御寺の境内も城の下段の郭(三の郭)であり、寺の右手脇に城跡への遊歩道があります。寺の裏手に高い土塁とその先に深く明瞭な堀切があります。さらに登ると上段の郭である二の郭、その上に主郭です。二の郭は幅(東西)20m、長さ(南北)50mほどあり広いという印象です。その背後に東西40m、南北30mほどの主郭があります。西側には櫓台の高まりも認められます。二の郭の西側下にも腰郭的な郭がありました。主郭背後は尾根を切断する堀切(自然地形に近いかも)がありますが、降りる所がないのと竹藪がきついので諦めました。この城の見所は上段と下段を分ける斜面に作られた堀切ですね。

主郭と物見台
歴史

築城時期は定かではないようが、衣笠氏は鎌倉中期には櫨谷の荘園を治めていたようで、文永年間(1264〜75年)頃に衣笠法眼が拠点にしたようです。室町期には衣笠氏は赤松氏に属したようで、応仁の乱(1467〜77年)では衣笠祐盛が戦功を上げているという記録があるようです。戦国期に入り、別所氏の属するようになりますが、天正六年(1578年)、羽柴秀吉の三木城攻めでは、衣笠範景は別所氏に属して抗しますが、天正八年(1580年)に織田軍の攻撃に落城し廃城になりました。

二の郭下堀切
    二の郭                     二の郭から主郭を見る
満福寺下にある城址碑                 堀切を上から見る
  
現地案内板より
二の郭から主郭
二の郭         主郭物見台
西腰郭       竪土塁風
        西下郭     主郭背後から西側堀
二の郭下堀切

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