摂津/ 尼崎城



ファイルNo1800


             模擬天守   

@ あまがさきじょう 
  別名 

A住所:尼崎市北城内
B目標地点:市立中央図書館・明城小学校
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:学校・市街地

F遺構等:模擬天守・(石碑)
G時代/人物:江戸期/戸田氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2007年10月・2022年01月

  

道案内 

阪神高速神戸線の尼崎東出口を下り、国道43号線に入ります。800m先の西本町の信号で右折し、県道13号線に入ります。200m先の信号で右折し、100m先の城内高校手前で左折します。200m先で左折し、100m先左手が城址公園です。
 
訪城備忘録

城の遺構はまったく残っていないようです。本丸は明城小学校周辺で、小学校の西側に城址碑があるようですが見落としました。小学校校内の庭に尼崎城のミニチュアと説明板がありました。また、市立中央図書館の北側は城址公園として整備され、模擬の石垣が作られています。さらに、城とは関係ないのですが、寺町の法園寺には佐々成政の墓があります。ただ、法園寺も江戸期に今の位置に移転してきており、山門横にある成政の墓もレプリカで、本物は本堂に保管してあるとの事です。 

2019年、地元出身の企業家の寄付で城址公園に模擬天守が建設され公開されました。2022年01月、完成した模擬天守をやっと見に行きました。外観は往時のものらしい(方向は違う)ですが、鉄筋であること、場所が違うため、模擬天守ですね。まぁ一度は見に行くわねぇ・・・。(笑)

歴史

永正十六年(1519年)に細川高国が砦を築いたのが始まりで、この頃は大物城(だいもつ)と呼ばれたようです。その後、有岡城の支城となり、荒木村重の嫡男の村次が在城しました。天正六年(1578年)に荒木村重は織田信長に離反し、翌年に尼崎城は陥落しました。豊臣時代、江戸初期は建部氏が尼崎を支配しましたが、城郭は再建されてないようです。元和三年(1617年)に近江膳所より戸田氏鉄(うじかね)が五万石で入封し、元和四年(1618年)より尼崎城を再築しました。戸田氏は大垣に移封後、青山氏が4代続き、正徳元年(1711年)には遠江掛川から(桜井)松平忠喬(ただたか)が四万六千石で入封、以後、桜井松平氏が明治維新まで続きました。

阪神尼崎駅近くから
明城小学校敷地内のミニチュア尼崎城と説明板      城址公園の模擬石垣
                         −
佐々成政
 法園寺         佐々成政の墓

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