摂津/ 尼崎城



ファイルNo1800


                         模擬石垣   

@ あまがさきじょう 
  別名 

A住所:尼崎市北城内
B目標地点:市立中央図書館・明城小学校
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:学校・市街地

F遺構等:模擬石垣・(石碑)
G時代/人物:江戸期/戸田氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2007年10月

  

道案内 

阪神高速神戸線の尼崎東出口を下り、国道43号線に入ります。800m先の西本町の信号で右折し、県道13号線に入ります。200m先の信号で右折し、100m先の城内高校手前で左折します。200m先で左折し、100m先左手が城址公園です。
 
訪城備忘録

城の遺構はまったく残っていないようです。本丸は明城小学校周辺で、小学校の西側に城址碑があるようですが見落としました。小学校校内の庭に尼崎城のミニチュアと説明板がありました。また、市立中央図書館の北側は城址公園として整備され、模擬の石垣が作られています。さらに、城とは関係ないのですが、寺町の法園寺には佐々成政の墓があります。ただ、法園寺も江戸期に今の位置に移転してきており、山門横にある成政の墓もレプリカで、本物は本堂に保管してあるとの事です。 2018年現在、地元出身の企業家の寄付で模擬天守が建設中です。2018年8月には完成らしいです。外観は往時のものですが鉄筋であること、場所が違うため、模擬というか再建天守とも言うようですね。

歴史

永正十六年(1519年)に細川高国が砦を築いたのが始まりで、この頃は大物城(だいもつ)と呼ばれたようです。その後、有岡城の支城となり、荒木村重の嫡男の村次が在城しました。天正六年(1578年)に荒木村重は織田信長に離反し、翌年に尼崎城は陥落しました。豊臣時代、江戸初期は建部氏が尼崎を支配しましたが、城郭は再建されてないようです。元和三年(1617年)に近江膳所より戸田氏鉄(うじかね)が五万石で入封し、元和四年(1618年)より尼崎城を再築しました。戸田氏は大垣に移封後、青山氏が4代続き、正徳元年(1711年)には遠江掛川から(桜井)松平忠喬(ただたか)が四万六千石で入封、以後、桜井松平氏が明治維新まで続きました。


明城小学校敷地内のミニチュア尼崎城と説明板      城址公園の模擬石垣
                         −
佐々成政
 法園寺         佐々成政の墓

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