摂津 / 三田城



ファイルNo1765


                         城址碑   

@ さんだじょう 
  別名 

A住所:三田市屋敷町
B目標地点:三田小学校
C形式:山城  D比高:m 
E現況:学校・住宅地

F遺構等:水堀・碑・説明板・(移築門)
G時代/人物:江戸期/九鬼氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2007年09月

  

道案内 

中国道西宮北インタから国道176号線で来ると、三輪の信号で左折します。600m先の武庫川を越えた三田大橋西の信号で左折します。200m先の法務局手前で右折し250m進むと左手が三田小学校、右手が有馬高校です。三田小学校の正門に城址碑と説明板があり、有馬高校との間の長細い池は堀跡です。小学校が本丸で、高校側が二の丸だったようです。
 
訪城コメント

九鬼水軍が陸に上がった地ということになります。九鬼氏は綾部にも一家あります。 三田小学校の隣に現在大池と呼ばれる池がありますが、これは江戸期からあったようで、九鬼家がこの池で水軍の訓練を続けたと言われます。城跡は三田小学校・有馬高校の敷地になり、遺構としては大池と有馬高校の前の池が堀跡のようです。また、金心寺に下屋敷の門が移築されているようですし、住宅地の中に武家屋敷の門が残っているところがあるようです。さらに、九鬼家の家老だった家が明治に建てた和装折衷の洋館?が九鬼家住宅として残っています。

堀跡
歴史

天正年間初期(1573念〜)荒木村重の家臣荒木平太夫が居城したされます。天正十年(1582年)豊臣秀吉の家臣の山崎堅家が入封し、慶長五年(1600年)の関ヶ原戦い後に有馬則頼・松平重直が入封しました。寛永十年(1633年)九鬼守隆の次男九鬼久隆が鳥羽から移封され三万六千石を領しました。以後、明治まで続きました。

金心寺(小学校から西に徒歩10分)に下屋敷表黒門が移築

現地案内板より                  九鬼家住宅(明治期)

  

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