播磨/ 赤穂城



ファイルNo1683

赤穂浅野氏、赤穂47義士で有名です。

         天守台    

@ あこうじょう 
  別名 加里屋城、大鷹城 

A住所:赤穂市上仮屋
B目標地点:播州赤穂駅、南約1km
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・石垣・掘・復元櫓・復元門
    碑・説明板

G時代/人物:江戸期/池田氏・浅野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  JR赤穂駅から15分
J撮影・訪問時期:2007年03月・2019年06月

  

道案内      ←西駐車場

山陽自動車道赤穂インタを下り、左折して県道96号線に入ります。400m先の新田の信号を左折して国道250号線に入ります。道なりに2.4KmでJRをくぐると塩屋惣門の信号で国道は左折します。1.2Km先のJR赤穂駅前で右折し県道32号線に入ります。直進1Km先が三の丸大手門前です。
 
訪城備忘録

主要部だけが残っているのかと思ってましたが、内堀内の本丸部分及び二の丸(訪城時整備中)の広範囲が残されいるという感じで驚きました。本丸部分は長野の松代城を思い出させる感じでした。本丸・二の丸が円を描くような感じの縄張りを持つ城跡です。三の丸大手門(復元)そばに大石内蔵助邸長屋門が残ります。

2019年06月再訪
雲一つない晴天に訪城しました。晴れてると印象も変わりますな。 本丸のみならず二の丸までも保存整備され、小大名の城郭ながら広範囲に残り、見ごたえある石垣群です。

大手門前城址碑
歴史 

天正年間に赤松氏の家臣の岡光弘が加里屋城として最初にこの地に築城したとされます。慶長五年(1600年)に池田輝政の弟の長政が大鷹城として再構築され、慶長十八年(1613年)には岡山の池田忠継の所領となりました。元和元年(1615年)に忠継の弟の政綱が3万5千石を分与され赤穂藩が成立しました。正保二年(1645年)赤穂池田家は改易となり、同年に浅野長直が5万3千石で入部しました。慶安元年(1648年)に大改修を開始し、寛文元年(1661年)に完成しました。元禄十四年(1701年)三代浅野長矩は江戸城松の廊下で吉良義央に斬りつけた事により断絶、寛文二年(1702年)に永井直敬が入部、同年に赤穂浪士討ち入り事件が発生しました。宝永三年(1706年)に森長継・長直が2万石にて入部し、津山森家を再興し明治維新まで続きました。

復興大手隅櫓               塩屋門そば西隅櫓台石垣
本丸西側石垣と内堀
清水門そば櫓台石垣と蔵に模した赤穂歴史資料館の建物
現地案内板より
  
塩屋門そば西櫓台石垣
塩屋門周囲
二の丸北隅櫓台
二の丸堀
大石頼母助屋敷薬医門と庭園(復元)
本丸門
本丸門北面内堀と石垣       本丸門櫓門
本丸門(復元)を本丸内より
天守台
天守台石垣
厩口門(復元)
本丸石垣
本丸石垣
刎橋門(はねはし)
本丸南側面石垣
本丸南東横矢桝形櫓台
本丸南面石垣
     水手門       水手門そば船着き場石垣
潮見櫓台石垣     二の丸南面石垣
二の丸東隅櫓台と舟入あたりの石垣
清水門そばの東北隅櫓台石垣
清水門筋石垣と東隅櫓台石垣
清水門そばの東北隅櫓台石垣
大石内蔵助邸長屋門
大手桝形
大手門(復元)
大手隅櫓(復元)
  
大石邸長屋門         花岳寺山門(西惣門移築)
      二の丸の堀      本丸石垣と内堀(内堀が赤茶けてました^^;;)
本丸庭園     厩口門(復元)
本丸石垣      天守台石垣
塩屋門石垣       塩屋門・西隅櫓石垣

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