豊前/ 城井ノ上城



ファイルNo2015

                         城跡遠景(キャンプ場より)   

@ きいのうえじょう 
  別名 城井郷城 

A住所:築上郡築上町寒田
B目標地点:牧の原キャンプ場
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石積み・碑
G時代/人物:鎌倉期/城井(宇都宮)氏
H満足度: 途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  −−分

J撮影・訪問時期:2008年04月

  

道案内 ←登り口

国道10号線椎田道路の築城インタから県道237号線及び県道32号線を城井川沿いの上流に20km進み、牧の原キャンプ場まで行きます。キャンプ場駐車場には城井川沿いの広域案内板があり、城跡が多数記載されています。そこからさらに200m先の牧の原橋袂に石碑があり、県道は橋を渡りますが、もう少し川沿いを進むとミニチュアの天守がある箇所があり、ここから登るようです。また、この先に三丁弓の岩という奇岩があります。
 
訪城備忘録

山の中に突如ミニュチュアの天守がありました。岐阜の大桑城みたいに。城跡はここからさらに斜面を登らなくてはならないようですが、斜面を少し登ったところで断念しました。三丁弓の岩は城域の入口に位置し、ここに三人籠もれば大軍の兵をも防げるということのようです。断念した後、帰り道に城井川沿いの城跡を数城探しましたが、大平城・上屋敷・大畑城など、どれも位置が特定できずでした。

ミニュチュア天守
歴史

文治二年(1186年)に源頼朝より豊前の地頭職に任じられた宇都宮大和守信房が神楽城に入り、本城としました。その後、宇都宮氏は城井氏を称し、本城を城井谷の大平城に移し、この城は詰め城と言われています。宇都宮鎮房(しげふさ)は天正十六年(1588年)に黒田氏に攻められ、降伏するも黒田氏に謀殺され、一族滅亡したとされます。

城跡遠望(登り斜面より)     三丁弓の岩  
城跡入口石碑          宇都宮一族の碑
  
現地案内板より(周辺城郭)
現地案内板より(周辺城郭)                寒田入口の標識

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