豊前/ 馬ケ岳城



ファイルNo1720


          城跡遠景   

@ うまがたけじょう 
  別名 
A住所:行橋市西谷(大谷の信号)
    〜京都郡みやこ町犀川花熊(二児神社)
    旧:京都郡犀川町
B目標地点:天神社
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:(郭・堀切・土塁) 
G時代/人物:平安期〜/源氏・宇都宮氏など
H満足度: 途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  −−分

J撮影・訪問時期:2007年05月

  

道案内 ←城跡 ←行橋大谷地区登り口 

登り口は幾通りはあるようです。行橋市側は大谷地区の天神社あるいは西谷地区に登山口の標識があります。みやこ町側からは二児神社より登れるようです。大谷地区は尾根筋をあるいて行く為距離はありようですが坂はきつくないようです。二児神社側からは距離はないようですが急坂のようです。 大谷地区の登り口には国道10号線を北九州側から来ると、椎田道路手前の徳永の信号で右折し県道58号線に入ります。2.2km先の八景山の信号で国道496号線を横切ります。さらに1.8km先の清地大橋で今川を越え、1.2km先の大谷の信号の左手に天神社があり、ここに登り口のひとつがあります。
 
訪城備忘録

二コブらくだの背というか馬の背という山容が遠くからも城跡と分かります。残念ながら、登るには小一時間の片道を計算に入れなくてはならずで、ちよっと寄るというわけにも行きませんので、訪城する機会がないままです。

登城口(大谷地区)
歴史

古くは天慶五年(942年)に源経基が築城したと伝わるようです。南北朝期には少弐氏、菊池氏、長野氏などの勢力が争奪したようですが、その後も、新田氏、菊池氏、大内氏、長野氏の城となり、戦国期に入り宇都宮氏の城となりましたが、天正六年(1578年)には長野三郎左衛門助盛の城となったとされます。天正十四年(1586年)城主長野氏は豊臣秀吉に従い。翌天正十五年(1587年)、秀吉の九州攻めでは、秀吉はこの城に在陣しました。九州平定後は、黒田官兵衛孝高(如水)・長政が豊前を領し、この城も持ち城となりました。慶長五年(1600年)には細川忠興が入り、同様に持ち城でしたが、元和元年(1615年)の元和一国一城令により廃城となりました。

現地案内板より
  

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