豊前/ 松山城



ファイルNo1686

豊前最古の山城と伝わります。

             主郭への石段と石垣   

@ まつやまじょう 
  別名 

A住所:京都郡苅田町松山
B目標地点:松山公民館
C形式:山城  D比高:130m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・堀・竪堀・説明板
G時代/人物:室町期/杉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から20分

J撮影・訪問時期:2007年03月

  

道案内  ←登城口

北九州市内から国道10号線で来た場合、バイパス朽綱の信号で、県道25号線(北九州空港方面)に入ります。2.4Km先で左折し北九州空港へ向かいます。200m先の苅田臨空産業団地の信号で右折します。200m先を左折し、150m先を右折し松山集落に入ります。橋を渡って250m先で左折すると、100m先右手が松山公民館です。ここから300m先がY字で左手に進みます。(松山城の標識があります。)さらに300m先に松山城の登城口があり、説明板が設置してあります。車は空き地に1台程度しか止められません。周囲の道は狭く、松山公民館付近で止めのるが無難かもしれません。  

訪城備忘録

登城口から小道を進みます。しっかりとした遊歩道(階段)が続いています。山頂手前に横堀が明瞭な形で見ることができます。この横堀は主郭の下を巡っています。遊歩道は主郭部分と二の郭の間にでます。主郭下腰郭へクランク状に石段遺構が残っています。その先の主郭への石段横には石垣が残っています。主郭北側の腰郭の下に畝状竪堀があるようですが藪がきつくて入り込めませんでした。二の郭の東側下にも畝状竪堀があるようですが、破壊されたか?立ち入り禁止になっています。この城は、下から見ていると、周囲の山肌が砕石で破壊されており、山容は無残です。事実、三の郭や小城は破壊されたようですが、主要部はかろうじて残っているという感じです。山頂の主郭からの眺望は良く、東には北九州空港やT社の自動車工場、南にN社の自動車工場などが見え、豊前最古の拠点が北九州最新の拠点に変貌しています。

歴史

天平十二年(740年)に大宰権帥藤原広嗣が築いたと伝えられます。天慶三年(940年)には神田光員が居城としたと伝わります。周防大内氏が盛んであった頃は大内氏の家臣杉氏の居城でありました。応永五年(1398年)頃は杉弘信が城主、応永十六年(1409年)頃は杉弘重が城主でありました。永禄五年(1562年)頃は毛利氏の家臣の天野隆重が在城していましたが、大友宗麟に攻められ、大友氏の属城となりました。天正年間は長野助盛の属城でしたが、慶長五年の関が原の戦いの戦功で豊前は細川忠興が領し、慶長十一年(1606年)に廃城となりました。

二の郭     城跡遠景
   
主郭下横堀      腰郭から主郭
  
i石段
東の海上(北九州空港)  主郭からの眺望   行橋方面    

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