筑前/ 花尾城



ファイルNo1685

主郭北側下にある石積みの井戸とそこから伸びる二列の石段(登り石垣?)が必見

                          井戸付近石段石垣遺構  

@ はなおじょう 
  別名 

A住所:北九州市八幡西区元城町
B目標地点:花尾山
C形式:山城  D比高:150m(登城口から) 
E現況:山林・森林公園

F遺構等:郭・土塁・堀切・畝状竪堀・石垣
G時代/人物:鎌倉期?/麻生氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から20分

J撮影・訪問時期:2007年03月

  

道案内  ←登城口(花尾公園入口・駐車位置)

北九州都市高速4号線大谷インタで下り、国道3号線側に進みます。300m先の信号で左折し、市道を進みます。2Km先の祇園の信号で左折します。道なりに1Kmほど進んだ花尾町の信号で右折します。800mほど進むと道は大きく左にU字カーブし高速道路を陸橋で越えます。越えて200m進むと今度は大きく右にUカーブします。この途中に左に入る道があります。入り口に花尾城の説明板があります。30m進むと道が右手山の斜面に沿った道があります。民家を三軒ほど過ぎ、墓地を越えてさらに進むと花尾公園の大きな石碑があり、ここから徒歩で進みます。
  
訪城備忘録

花尾公園の車止めから少し歩くと右手に石垣が見えます。居館跡なのか? そのそばに直進の道と、右折の道があります。直進は東の郭先端まで行き城域に入るようですが、右折して坂は急ですが距離のない方を進みました。尾根に登るとまずは(通称)やぐら台の郭です。この付近に竪堀も見られます。広い郭の尾根先端に櫓台らしき高まりがあります。さらに登りながら(通称)四の郭・三の郭と続きます。けっこう広い空間です。(通称)二の郭の手前に石積みがあり、二の郭には巨石が横たわります。二の郭というより城道から横に外れ、馬出しではないけど、武者溜りのような空間です。主郭は低い土塁はありますが、技巧的な感じは無く、中世の城そのものです。眺望はすごくいいです。東側には一段下がったところに大きな郭があります。ここの方が二の郭的な役目がありそうです。ここから、北側の斜面に盛りて行くと右手に畝状竪堀、左手にには降りている石段(分厚い石垣の上を降りている)と平行に藪に隠れていますが石垣が斜面に沿って築かれています。石段を降りきるとこれも石組の大きな井戸遺構です。この周囲は石垣が多用されています。ここから東に進むと大堀切があり、その向こうに(通称)馬場及び櫓倍があります。馬場のさきに放射線状の竪堀三本があるようでしたが、見ませんでした^^; 大堀切から南に廻ると遊歩道に大きな「花尾城址」の石碑がありました。ちょうど主郭の南側斜面下に辺りで、斜面には畝状竪堀があるはずですが、遊歩道の設置のため破壊されたのか?いずれにしても草木が深くてまったく明瞭でなかったのが期待していただけに残念でした。北九州の城は畝状竪堀をもっている城が多く、長野城を代表に数多くの城に存在します。ここ花尾城もそのひとつでしたが、少し拍子抜けでした。城址碑のところから南へ登ると帆柱山城(約25分)で行けるようです。西への道を降りていくと城域を迂回しながら花尾公園の車止めのところまで戻ってこれました。

石積み井戸遺構
歴史

築城時期ははっきりしないようです。建久五年(1194年)に宇都宮重業が築いたともされます。いずれにしても宇都宮朝綱の次男家政が山鹿庄に入り山鹿氏を名乗り、家政の子の時家、その時家の次男の資時が麻生庄に入り麻生氏を名乗りました。代々麻生氏の居城で、一時大内氏に奪われますが、その後回復します。天正十四年(1586年)の豊臣秀吉の九州平定時に秀吉に降伏し、麻生家氏は筑後で4600石を与えられ花尾城を去り、城は小早川隆景の属城になりましたが、その後に廃城となりました。

主郭南側下にある城址碑          主郭東側堀切
   
黒崎城方面遠望               皿倉山遠望
  
登城口近くの郭の石垣                (通称)やぐら台の郭
(通称)四の郭                    (通称)三の郭
(通称)二の郭                      主郭
   主郭城址碑                    主郭北側斜面畝状竪堀
井戸付近石垣               (通称)馬場

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