豊前/   小倉城



ファイルNo1587

                            

@ こくらじょう   
  別名 

A住所:北九州市小倉北区城内
B目標地点:勝山公園・八坂神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・神社・公共施設・市街地

F遺構等:郭・石垣・水堀・模擬天守・碑・説明板
G時代/人物:江戸期/細川氏・小笠原氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駅からの主郭までの所要時間:
  小倉駅から15分

J撮影・訪問時期:2006年06月・2016年09月

  

道案内  

西小倉駅から南に500m、小倉駅から南西に1Kmほどの位置です。北九州都市高速1号線勝山インタからすぐです。
 
訪城備忘録

10年ぶりに来てみました。天守は原型とは若干違う復興天守です。本丸周囲の石垣と本丸周囲の堀跡は二方が良く残っていると言えるのでしょうか。駅に近く、お気軽な城跡です。


歴史

関が原の戦いの功績で、細川忠興は豊前及び豊後二郡の39万石で丹後田辺から入封し中津城に入りました。しかし、中津は統治に不適とし、慶長七年(1602年)に小倉城を築城し、中津城より移りました。寛永九年(1632年)に細川忠利は熊本に転封となり、播磨明石城より小笠原忠真が13万石で入り、以後、小笠原氏の居城となりました。慶長二年(1866年)の第二次長州征伐で長州藩に攻められて、小笠原氏は田川に退いた際に小倉城は焼失しました。天守は天保八年(1837年)に火災で焼失し、以後は再建されませんでした。現在の天守は実際の天守と異なる外観で復興天守ですね。
多門口門(本丸側)       本丸北側空堀
現地案内板より
2006年撮影
  
北門付近から
多門口門(八坂神社側)      大手門(本丸側)
槻門       大手門
井戸跡     鉄門
西口門側堀
本丸東側より
虎ノ門側
水堀から八坂神社方向
復興天守
天守台石垣
天守台石垣

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