丹波 福知山中村城



ファイルNo4207


            堀切            

@ なかむらじょう 
  別名  

A住所:福知山市中
B目標地点:薬王神社
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:雑木林・神社

F遺構等:郭・堀切・堀・土塁
G時代/人物:戦国期/塩見氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2025年07月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道の福知山インタで下り、国道9号線を市内に向かいます。約3.5Km先で土師川を渡り、高架を下りた先の東堀の信号を右折し、府道55号線に入ります。約700m先でJR山陰本線のガードを越え、約600m先の内記1丁目の信号で右折します。約400m先の信号で斜め右手に入ります。(変則な交差点ですが府道55号線はこの道です。)約300m先で音無瀬橋で由良川を渡ります。橋を渡って約400mで猪崎の信号で、左折し府道55号線を進みます。(直進は府道74号線です。)約1km先を右折します。約150m先を右折します。約100m先、正面の養泉寺の所で左折します。約200m先左手に鳥居があり坂道があります。ここが城跡の入口です。

訪城備忘録

鳥居のところから登るとすぐに南の郭です。今は神社の社殿が建っています。その入り口、南側には土塁あり、その土塁の真ん中に開口部があり、土塁の外側に空堀があり、神社へは土橋を通って入るようになってます。空堀は西側はすぐに無くなり斜面になりますが、東側は郭の東下に延びています。この虎口状と土橋ですがもしかしたら神社の改変かもですね。

南の北側には大きな堀切が横たわり北側にある中の郭とを隔てます。南の郭は北西端のスロープ状の虎口で西側に延びる帯郭に下ります。帯郭は城域北端の郭まで繋がっています。中の郭は南側にL字に高い土塁があります。中の郭も北西側にスロープ状の虎口で帯郭に出ます。中の郭から段差があり、北側が主郭です。中の郭も北西側、虎口の横に主郭へのスロープ導線があります。

主郭は北側に低い土塁があります。この北側土塁の下に堀切のように空堀があります。この空堀は郭群の東側を延びて、南の郭の虎口まで続きます。主郭北側下の空堀の北側は大土塁になっていて、その先が北端の郭になります。 東下の空堀はその側にずっと低い土塁を伴います。

竹藪の藪化は進んでいますが、遺構はしっかりと残っている城跡でした。

歴史
登り口の鳥居

築城時期、築城者は不明です。一説には塩見義近が嘉吉の乱(嘉吉元年(1441年)以降に築城したともされます。天文年間(1532〜55年)の頃より、福知山城の前身の横山城を拠点とした塩見氏一族の塩見(横山)大膳(二代)が在城し、猪崎城の支城として機能したようです。天正七年(1579年)、明智光秀に攻められ横山城が落城、同様に猪崎城、中村城も落城したと思われます。



主郭北下の空堀と土塁     東側にある長い空堀
  
南の郭へ入る土橋
土橋を横から
土橋東側から延びる空堀
南の郭内から虎口状(両サイド土塁)
南の郭と中の郭の間の堀切
南の郭と中の郭の間の堀切
中の郭南側高土塁
中の郭から主郭との段差と東側低土塁
中の郭からスロープ状で主郭に入る
主郭
 主郭と土塁
主郭北下空堀と土塁
主郭北下空堀 <向こう側は主郭の切岸・手前は土塁>
主郭北下の空堀と土塁
土塁
北端の郭から土塁を見る
北端の郭と土塁
主郭切岸と空堀
北端の郭を見る
東下空堀(主郭下)
東下空堀
東下空堀と土塁
東下空堀と土塁(南の郭下)

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