道案内 ←城跡 ←登り口 |
京都縦貫道の京丹波みずほインタを下り、左折し国道173号線に入ります。約15km先、川合口バス停付近で斜め右に入り、約300m先で左折し府道59号線に入ります。約2km先、右手上、旧川合小学校(2015年廃校)の前で反対側に左折し府道521号線に入り、すぐの川合川を渡ります。 道なりに約400m先を左折し約100m先を右折し、麓の小道を進みます。約200m先に案内板があり、ここから登ります。 車は説明板のところまでは入れません。府道から曲がった道の邪魔にならないところに停めてください。また、最後の小道の入口の民家に土佐犬がいますが、暴れるように吠えますのでびっくりしないように。(笑)
|
訪城備忘録 |
麓の説明板のところから登ります。尾根まで登ると大きな切通し状の道になり、往時は堀切だったものです。右手に登ると左からすぐに主郭に入れますが、右手には土塁を伴う堀切があります。(訪城には草木に埋もれ見えにくかったで。) その先に砲台のごとくに盛り上がる土壇があります。城域のど真ん中であり、櫓台?とは少し違う感じがします。主郭には南東側に石積み痕跡があり、西端に土塁があります。また、南西側に「虎口」の標識、その下、獣除けフェンスに「竪土塁」の標識がありますがよくわかりません。 主郭内に茅葺の東屋が建ってますがほぼ倒壊しています。平成三年(1991年)、助成を受けて整備されたようですが、維持の難しさという事なんでしょうね。
|
登城口の説明板
 |
|
築城時期等は不明のようです。天正年間(1573〜92年)初期に樋口対馬守の居城とされるようです。樋口氏はのちに細見辻城に移り、空き城になったこの城に黒井城、赤井直正の遺臣の西山蟻之介が入り明智光秀に抵抗しましたが<天正七年(1579年)?>、討死したと伝わるようです。
|