丹後   金谷城



ファイルNo4087


              北尾根堀切              
@ かなやじょう 
  別名 畑城 

A住所:京丹後市久美浜町畑
    旧:熊野郡久美浜町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:墓地・山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁
G時代/人物:戦国期?/野村氏?
H満足度: 途中断念

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  ーー分


J撮影・訪問時期:2023年10月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクションから綾部宮津道路に入り、京丹後大宮インタを下り、左折し府道655号線に入ります。約2.5km先の酒戸古の信号で右折し国道312号線に入ります。約16km先、峰山町の長岡大橋で左折し国道312号線をそのまま進みます。(右折は国道482号線です。) 約21km先の友重の信号で左折し府道706号線に入ります。約4km先、金谷のバス停手前(市林業センター手前)で左折します。約300m先で金谷橋で川上谷川を越えて右折します。北尾根の神社に行くのは約100mほど先の民家の横の畑道を入るとゲートがあってそこをくぐると神社への道があります。城跡本丸にはたぶんですが、右折してから約400m先、府道706号線の畑のバス停付近から集落に入って来た道をまだ奥に入った民家の奥の中腹の神社付近から入るようです。

訪城備忘録

この城は久美浜では最大の城域の城と言われています。

有名サイトの地図サイトに金谷城登り口というポイントがありますが、ここはゲートが二つあり、左手は金谷本丸城方向、右は金谷城北尾根方向のゲートなんですが、特に右手のゲートは針金がきつく縛ってあり、とても素手では外せません。どっちにしろ、北尾根の神社まで行っても北尾根の根元にある堀切に巡っているフェンスのゲートは無くとても越えられるものではないため、主要に入るには城跡の西斜面中腹にある社のどちらかの付近から登るようです。 

ただ、北尾根の堀切とそれから続く竪堀だけでも深くて明瞭です。主要部の尾根との高低差も比高で30mほどある感じです。主要部には連郭式に並んだ郭が主要郭でも3つあり、各郭間には堀切があり、主郭と主郭手前の郭との間の堀切には南端に土橋が架かり、この城道は主郭へ南から折れて入る感じの構造になってます。奥の主郭の背後には北尾根の堀切以上の大きさの堀切があるようです。さらに主郭の西側斜面には段郭が数段あり、土塁、竪堀の遺構を残しているようです。

城跡遠望
歴史

金谷城は別名畑城と言うようで、初期としては伊勢肥前守の名があり、後に、南北朝期(1338〜42年の頃)に野村忠興が城主となったようです。戦国期に入り、城主は野村監物で、天正年間に豊臣秀吉によって攻められ滅亡したとされます。

金谷城の規模からすると主城はこちらになるとは思うのですが、金谷本城六体城との関係がわかりません。
川沿いの道からの進入口    北尾根の神社への進入路     ゲート       
  
北尾根先端にある神社の社   北尾根の竪堀        
北尾根
北尾根の土塁と堀切
北尾根の堀切
堀切の所から主要部の尾根を見る 比高で30mほどあるかな?
竪堀に張ってあるフェンス
六体城  4088

@ ろくたいじょう A住所:京丹後市久美浜町畑〜布袋野  旧:熊野郡久美浜町  
B目標地点:     C形式:山城  D比高:60m E現況:山林
F遺構等:郭・堀切・畝状竪堀  G時代/人物:戦国期?/ーー  H満足度: 途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:  ーー分  J撮影・訪問時期:2023年10月

六体城は金谷城の南の山にあります。川上谷川の反対側の水道施設があり、この付近には橋が無く反対側に行けません。ウロウロして探しましたが、付近では無理という事がわかりました。結局、府道706号線と府道671号線の分岐点まで行って、府道671号線に入ってすぐを左折し農道を進んだ先にある橋で川を渡って、橋の先の二股を左に進むと城跡麓まで行けますが、今度はフェンスの開放部が分からず、夕方にもなってあえなく断念でした。 他のサイトを見ると、川沿いにある建物の手前で山に入っておいでのようなのでその辺にゲートとかあるのかもしれません。

城跡遠望
城跡遠望 <左の建物は川の反対側の浄水施設>
府道からの進入口    農道の橋    
橋から城跡遠望

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