道案内 |
舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクションから京都縦貫道(宮津天橋立インタから無料区間・国道312号線になります。)の京丹後大宮インタを下り、左折し府道655号線に入ります。約2.5km先の酒戸古の信号で右折し国道312号線に入ります。約16km先、峰山町の長岡大橋でで左折し国道312号線をそのまま進みます。(右折は国道482号線です。) 約800m先の長岡の信号で右折し府道17号線に入ります。約10km先、網野橋の信号で左折し国道178号線に入ります。約300m先の網野駅前の信号で右折し府道673号線に入ります。約1.2km先の信号で左折し、約200m先左手が下岡区公民館です。車はここに置いて歩きます。公民館から約100m先の十字路で左手の公園内に城跡の説明碑があります。しかしながらもう消えそうで判読が難しい; 十字路を左手に行き、約100m先、「高天山登り口の標識のある路地に右折します。約50m先を右折するとすぐ左手が尾崎神社の石段です。ここを登り社の左手から谷筋に入ると途中から「下岡城跡散策道」の案内標識がところどころにあります。山頂が城跡です。
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訪城備忘録 |
私の場合は上記の尾崎神社のルートは下りて来てからわかったので、尾崎神社への最後の右折のところで左手方向へ適当に山に入りましたら途中から「散策道」という標識の所に出たという感じでした。昔はいったん整備されたようですが、今は放置状態のようで、標識なども場所によっては倒れたり朽ちたりしてます。登城道も明瞭とは言えない状況です。
東斜面中腹から段郭のような平坦地があります。中腹に「神石」と標識が立つ巨石があり、この上から主要部です。神石、神が宿った石という事なんでしょうかね? 神石から右手北下方面にまずは向かいました。中腹の郭の先、北西斜面に三条連続した竪堀があります。 畝状竪堀と言ってもいいように思いますが、一番西側の竪堀は西に廻り込んで大堀切と連結してます。 この大堀切は別の竪堀にも分岐していて北側斜面には計四条の竪堀が並びます。 このまま斜面を進と主郭南西下の大堀切があり、深く長くて明瞭です。主郭側からすると比高で10m以上ある感じです。主郭は土壇上で、主郭下周囲を副郭がぐるっと巡ってます。北側と南側はわりと大きな面積があり、南北は羽場がある通路と言う感じです。主郭の北東側に副郭からスロープ状になっていて主郭の登り虎口になっています。
副郭の北東下の郭は主郭のスロープ土塁同様、両サイドにスロープ状の土塁を伴う郭です。ここをもう一段下りると(神石の上の郭)細長い郭が北側まで廻っていて(北下郭)、北西端に大きな井戸があります。さらに、この郭の東側の斜面には連続のコブ状の土壇があり、斜面に竪堀が落ちている感じです。この周辺の地形と遺構をつかみきれないままにしてしまいました。^^;
全体的には段郭が広い城跡で、堀切が深くて鋭いものでした。北側に連続する竪堀も面白いです。
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公園の説明碑
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築城時期は定かではないですが、明徳三年(1392年)、明徳の乱の戦功で丹後守護となった一色光範が支城として85城のネットワークを構築した内のひとつで家臣の高屋氏が城主だったとされます。天正七年(1579年)、細川氏が侵攻してきましたが、落城はしませんでした。天正十年(1582年)、再度、細川藤孝(幽斎)が攻め込み、城主の高屋良閑、高屋駿河守、赤尾但馬守(木津城)、今井観世次郎(高橋城)らも籠城しましたが、落城しました。
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