丹後 明石愛宕山城
明石大師山城



ファイルNo4070


            愛宕山城主郭背後の堀切            

@あけしあたごやまじょう・あけしたいしやまじょう
  別名  
A住所:与謝郡与謝野町明石
    旧:与謝郡加悦町(
かやちょう
B目標地点:明石愛宕山9号墳
C形式:山城  D比高:20m・70m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁
G時代/人物:戦国期/市田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2024年08月

  

道案内 ←明石愛宕山城  ←明石大師山城  ←明石城(未訪)

舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクションから綾部宮津道路に入り、さらに宮津天橋立インタから宮津与謝道路に入り与謝天橋立インターで下り、国道176号線へ左折します。約2.5km先の石川の信号で斜め左折の国道176号線に入ります。(直進が国道312号線です。) 約4km先の明石の信号で左折します。すぐの二股を右手に進みます。約500m先のT字を左折し約50m先を右折します。約250m先(集落を抜けたところ)に右手にダートの路地があります。車では入りにくいです。路地に入ってすぐに「明石愛宕山9号墳」の説明板があります。路地に曲がって約200m先が左折、その先が右折とクランク状になっていますが、これの最初で右手に入ります。やや草が多いですが藪にはなってないです。水路があるので注意ください。右手方向の尾根に登り、フエンス沿いを右手に登るとゲート(11番)があります。

訪城備忘録

明石城に行くつもりが結局違う城に行ってしまったようです。ここの一帯は明石城塞群と呼んでもいいんでしょうけど、各尾根に城跡遺構が点在していますので、あとでいろんなサイトを見るのですがイマイチどうだったのかが??状態です。一応整理しページにしましたが間違いがあるかもしれません。ここは、明石愛宕山古墳群(26基あるようです)であり、古墳を利用した城と言えます。また、明石大師山城背後の尾根を進むと谷垣城(木積山城)まで到達するようです。

明石愛宕山9号墳の説明板のある細道を奥に進むとクランク状に道が曲がります。その角で藪が切れている箇所から入り、右手尾根に向かい登ります。すぐにフエンスが連なっていてフェンス右手を進むとフェンス内の堀切のような塹壕道沿いを登り尾根上にゲートがありました。(11番ゲート) ここから塹壕状を越えて奥に進むと13番ゲートがあって、そのままフェンス沿いに山に向かいます。

すぐに「中世の山城跡」と書かれた右半分だけ残った標識があります。その際は塹壕風道ですが、これの左上が明石愛宕山城です。主郭の西側下に大きな郭があり、その上が主郭となります。主郭は長い郭ですが結構広いです。南端に分厚い土塁があり、その先に堀切があります。この堀切なかなか明瞭です。

堀切から尾根下を少し行くともう判読不能の標識があり、ここから尾根に登りますと明石愛宕山3号古墳という説明板が横たわった箇所になります。周囲に低い土塁状が巡り郭として利用されていたように見えます。その南外側には浅い堀状と土橋状の形が残ります。頂部へ向かって尾根を登りますが、段郭状の平坦地、堀切状の窪みなど確認できます。頂部に登ると小さな祠があり、愛宕神社のようです。西下へ塹壕の参道がありましたが、どこにつながっているのかは確認しませんでした。この周辺が明石大師山城になります。 南側へ郭が張り出し、その先に堀切がありました。この堀切も西下へ道になってます。東下は堅堀状になってます。ここで引き返しましたが、この先にも堀切があるようです。さらに登って行くと谷垣城に至るようです。明石大師山城の頂部が標高94m、谷垣城が標高181mですので、まだ距離はある感じです。

歴史
ゲート11番

城主として市田次郎保則の名があるようです。


西下腰郭   明石愛宕山城   主郭土塁
明石愛宕山城遠望(右手の低い尾根奥)
城域端の朽ちた城跡案内
明石大師山城遠望
愛宕山城奥から大師山城への尾根登り口
明石愛宕山城
城域先端堀切状(今は塹壕道の感じ 遺構??)
主郭北下
主郭内
主郭の土塁
主郭背後の堀切を上から
主郭背後の堀切
主郭背後の堀切
明石大師山城
明石愛宕山3号墳(周囲に土塁があり、郭ですね)
3号墳南側の土橋状 
削平地
尾根途中
大師山尾根(堀切に見える)
愛宕神社   主郭    南側
主郭背後の堀切
堀切から落ちる竪堀

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