丹波 新治城



ファイルNo4064


            堀切            

@ あらはりじょう・にんばりじょう 
  別名  

A住所:京都府京丹後市峰山町新治(にんばり)
    旧:中郡峰山町

B目標地点 十方院
C形式:丘城  D比高:50m 
E現況:山林

F遺構等:東城:郭・堀切・堅堀・土塁
    (西城:郭・堀切・畝状堅堀)

G時代/人物:室町期/新治氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2024年07月

  

道案内 ←東城    ←西城

舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクションから綾部宮津道路に入り、さらに宮津天橋立インタから宮津与謝道路に入り与謝天橋立インターで下り、左折し国道176号線に入ります。約3.2km先の石川の信号で斜め右へ国道312号線に入ります。約20km先、峰山町の長岡大橋で右折し国道312号線をそのまま進みます。(右折は国道412号線です。) 約2km先の峰山途中ケ丘公園前の信号をで右折します。金田大橋を渡り約300m先を左折します。約500m先を右折します。約200m先、集落内の変則五差路を斜め左に入ります。約150m先で右折し坂を登ると十方院です。お寺の奥が児童公園のようになってますのでここまで行けます。お寺の裏手が東城です。 西城はお寺前の道をさらに約300m進んだところに右手に細い道があり、ここに入り約100m先のT字状を左に進み登った先が西城です。

訪城備忘録

お寺の裏手から山に入ります。お寺を正面に右手、お堂の裏から登るか、お寺の左手で適当に登るかにはなります。私は最初は左手から入りました。南東側から入り、南側に廻りました。堅堀なのか、坂虎口道なのか判断できかねる塹壕状が南東側から南側へ三本あります。その間と間にわりと広い郭(平坦地)があります。特に南側の最後の坂道は幅もあり、お寺の参道のような道でした。行かなかったんですが、南西側にまだ二本ありそうです。主要部は東側の二の郭と西側一段高いところの主郭です。双方とも広い削平地で、双方とも北側へ延びたL字の平坦地になってます。二の郭の南端から主郭への坂道があり、坂虎口的です。二の郭、主郭の北下との高低差はけっこうあり、主郭北西下には横堀状の通路があります。横堀状を抜けると寺の歴代住職様の墓地があり、その先を廻り込むと主郭北東側には今は切通道のようになってますが、堀切があります。こちらも深いです。

西城は今回は行ってませんが、北側に主郭があって北側下に堀切があり、東下斜面に畝状堅堀がありようです。主郭南側へ段郭が数段あるという感じのようです。

東城の城内を歩いていると確かに城郭遺構はあるものの、南側にある大きな坂虎口状の塹壕はどう理解したらいいのかわかりません。お寺を改修して城になったものか、後世に耕作地として利用された跡なのかとも思いますが、歴史的には記録に残る城でもあります。

歴史

諸説あるようです。文亀年間(1501〜1504年)頃の城主は新治蔵人とされ、あるいは、建武年間天正年間初期(1573年〜)の城主は加納下総守とされ、天正十年(1582年)に落城したとされます。 あるいは、正嘉五年(1257年)、安達丹後守頼景の居城伝わるようで、建武年間(133〜36年)には新治蔵人が拠ったとされるようです。室町期前期では吉原山城の支城であったようです。




大きく幅のある坂虎口状     北下の横堀状    
  
南東下の地形
堅堀状の塹壕地形
土塁状
坂虎口状
南側の削平地
大きな坂虎口状
南下から主郭を見上げる 
主郭への坂道    二の郭   
二の郭
北下の横堀状
主郭      主郭虎口
主郭から北西下の堀切を見る
二の郭北下平坦地
主郭北下横堀状
主郭北西下堀切
小さなお堂        お堂から十方院を見る
お堂裏側の虎口状
二の郭北西下
二の郭北西下

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