道案内 ←東郭群 ←登り口 ←西郭群(主要郭群) |
舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクションから綾部宮津道路に入り、さらに宮津天橋立インタから宮津与謝道路に入り与謝天橋立インターで下り、国道176号線へ右折します。約1.5km先消防署前の信号で左折し国道178号線に入ります。約12km先、日置の信号で斜め左の府道75号線に入ります。約1.5km先の左手上(府道が左カーブになる前)にタンクが数基あります。ここへのアスファルト坂道の入口隣に細道があり、登るとゲートがあってこれをくぐり、浄水場のフェンスに沿って登って行き、山に入ります。見上げると尾根先端が見えますが、ここからが東郭群です。なお、麓の浄水場の西側の墓地背後から道はあるのですが、約20mほどが相当な薮になっていて夏場はここを越えられないです。(冬場はわかりませんが)
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訪城備忘録 |
東郭群主郭には大きな浄水タンクがありますので、その工事のためどこまで遺構が破壊されたのかがあります。主郭の西下の鞍部から主郭への坂虎口風はその工事の跡と浄水タンク管理の道ではあるとは思います。
東郭群は南から北へ伸び、中間点で西へ曲がったL字型の城跡です。郭としては主郭、中間郭、南郭、及び、出丸的西郭であるようです。南郭と中間郭の間には浅い堀切があり、中間郭と主郭の間には明瞭な深い堀切があり、主郭北側下のも明瞭な堀切があります。さらに、主郭西下の鞍部の西側が砲台状になっていて西郭となり、その西側は尾根と切断する堀切があります。鞍部を北側に行くと小川が流れ、浅い池のようになってました。その先、北西の方向が西郭主要郭群であるようですが、道がわからず、また、薮状態、訪城時が夕方であったため、この時期では無理と西郭主要部群は断念しました。
麓にある禅海寺は日置氏の菩提寺だそうですが、この裏手から城跡には行けないみたいです。
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主郭にある古い浄水タンク
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史料には一色氏の被官の日置氏は、鎌倉期に鎌倉より地頭として来住したとの事で、来住時は大江氏で、初代は大江季行と言い、後に日置氏を名乗ったようです。城主としては、南北朝期?、日置小次郎(義久?)や大江山城守の名があるようです。また、室町中期には日置次良左衛門の名があるようです。
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