丹後 延利城



ファイルNo3856

広い城域・深い堀切と遺構はすばらしですが、藪、倒木が多く踏破には難儀します

            西端の大堀切            

@ のぶとしじょう 
  別名  

A住所:京丹後市大宮町延利・森本
    旧:中郡大宮町

B目標地点:無浄谷ビオトーク
C形式:山城  D比高:110m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堅堀・土塁
G時代/人物:戦国期/吉田氏?
H満足度: 凸凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2022年10月

  

道案内      ←登り口

舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクションから綾部宮津道路に入り、さらに宮津天橋立インタから宮津与謝道路に入り与謝天橋立インター、さらに野田川大宮道路で大宮インターまで行きます。下りたところが府道655号線で右折します。約4.2km先で右折し府道53号線に入ります。約400m先の右手、田んぼの向こうに山の谷間があります。ここは「無浄谷ビオトーク」という看板があり、ここに入ります。右手端をしばらく進むと道が崩壊してますので適当に右手の尾根に登ります。(比高で約20m) 尾根を奥に進んでいくと城域の中核部になります。

訪城備忘録

無浄谷ビオトークのフェンスゲートを入り、右端の道を進みます。ビオトークは湿地帯ですので、へたに足を踏み入れると靴がドロドロになりますので注意ください。特に帰りに旧の道を下って来ると麓近くで道がなくなるのでビオトークに足を踏み入れると靴が埋まってしまう感じになりますので、注意ください。
城域は北支尾根の段郭群、その南側の東西の郭群(便宜上、下の郭群)、下の郭群西端の大堀切から主郭を含む上の郭群が¬状に続いています。(便宜上、上の郭群) ここ何年も人の手が入っていない里山と言う感じで、藪や多くの倒木があって城内を歩くには難儀します。

ビオトーク内の道が崩壊等で途切れたところから右上の北筋の支尾根に直登します。比高で20m弱ですかね。この支尾根の段郭群は非常に長く続いていますが、小郭の段郭群で切岸のみの感じです。支尾根の根元で先ほどのいったん途切れた道と合流します。そのまま南に進みますと下の郭群中間にある切通状のところに至ります。今は切通のように見えているのは、主郭に祠があり、昔、これの参道に使われていたのかなと思いますが、城があった頃は堀切と思います。まずは東側郭群に上がります。堀切側に土塁が残ります。郭は広く二段になっている感じです。東側は藪になってますが、東端まで行くと堀切があり、南側下に二段の段郭があります。最初の堀切(切通)まで戻ります。ここを南側に下りると上の郭の尾根との間の谷部になります。郭ではないような感じはしますが広いです。堀切(切通)から西の郭群に行きます。こちらも二段になっている感じです。西側の北側へ虎口のような開口部があり土塁が残ります。この西端は上の郭との間になりますが、深くて大きな堀切になってます。上の郭の切岸は5mはあるでしょうか。堀切の北側は長く竪堀状になってます。南側から右手上に登ると上の郭へ繋がります。

桝形状の通路を越え藪を越えると上の郭の北側下郭がふたつあります。ここから主郭周囲郭の下を巡るように南側へ行けますが、西側に下りるとこの城最大の大堀切に至ります。大堀切の西側にはもう1条小さめの堀切があって段郭群があるようですが疲れて行きませんでした。^^; 大堀切の南側は斜面に沿って堀(竪堀)が弓状に長く落ちています。主郭側に戻り、切岸を登ると主郭北下の副郭です。郭としてはこの城として一番広いんですが、藪です。^^; 西側に少し土塁が残ります。その南側上が主郭です。小さな祠がありますが、郭内は藪です。東側に土塁が残り、南側の高い土壇(櫓台)があります。主郭の東側下のも郭があり、その先は大きな高低差のある堀切がありますが、疲れて下りませんでした。^^; その先の尾根に4郭ほどあり、北側斜面に段郭がいくつもあるようですが、行きませんでした。 

主郭からいったん下りて主郭南側下に廻り込みます。二重の堀切・竪堀が長く西側に落ちています。特に外側の堀切・竪堀が大きいです。二つは西斜面の途中で合流し、先ほどの大堀切から延びる堀(竪堀)に繋がります。また、これも行ってないのですが二重堀切の頂部から東側に下りると主郭東下郭の先の堀切の横にでられ、上の郭東尾根の南下の長い横堀に至ります。

今回はすべてを見学できたわけでは無いです。倒木と藪で倍疲れてしまいました。しかし、見学できた堀切は迫力のある遺構ではありました。この城、縄張図が無いと迷ってしまいます。舞鶴市の西図書館で「京都府中世城館報告書の丹後編」をコピーさせていただき向かいました。丹後の城、まだまだ魅力的な城跡が多いです。しかし、整備されている城跡が少ないので、踏破には体力の準備が必要です。

歴史
東から城跡遠望

史料には城主として吉田吉助とあるようですが、詳細はよくわからないようです。

下の郭群と上の郭群の間にある大堀切の堀切  主郭南下の二重堀切・堅堀
下の郭群と上の郭群の間にある大堀切
主郭南下の二重堀切・堅堀
無浄谷ビオトーク
  
北支尾根の段郭
北支尾根の段郭      最初の堀切(切通)
最初の堀切(切通)<下の郭群の東西中間>
最初の堀切(切通)<下の郭群の東西中間>
下の郭群東側上郭の土塁
下の郭群東側上郭と土塁
下の郭群の東側郭群東端の堀切
下の郭群の東側郭群東端南側段郭二段
下の郭群の西側郭群の虎口状の土塁
下の郭群西側郭群の虎口状
下の郭西端より上の郭の北側下堀切を見る 
下の郭群の西側郭群端から大堀切を見る
下の郭群と上の郭群の間の大堀切から延びる竪堀 
下の郭群と上の郭群の間の大堀切 
下の郭群と上の郭群の間の大堀切<左:下の郭切岸 右:上の郭切岸> 
堀切から上の郭群への通路     主郭西下帯郭?
上の郭群西端の大堀切
上の郭群西端の大堀切
上の郭群西端の大堀切から南へ延びる堀
主郭北下郭の土塁     主郭土塁
主郭       主郭南下
主郭南側大土壇(櫓台)
主郭南側へ廻り込んだ
主郭南下二重堀切・竪堀
主郭南下二重堀切・竪堀
主郭南下二重堀切・竪堀
主郭南下二重堀切・竪堀のひとつの西側

近くの城・関連の城:高森城