丹波 (伝承)松山城



ファイルNo3758


                虎口スロープ            

@ まつやまじょう 
  別名  

A住所:南丹市美山町三埜(みつの)
      
旧:北桑田郡美山町
B目標地点:旧大野小
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・切岸・説明板
G時代/人物:ー期/松平氏
H満足度: 番外凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  8分

J撮影・訪問時期:2021年10月

  

道案内 ←城跡   ←駐車場

旧京北町周山(現:右京区京北周山町)から国道162号線で北上し約25Km先、旧美山町静原の信号で左折し府道12号線に入ります。約6.5k先の左側に駐車場、右側府道沿いに説明板があります。ここで右折し約100m先を左折し、約100m先、左手に旧大野小、右手に入口があります。
、 
訪城備忘録

地元の方々が伝承を元に調査、踏破され、城跡を比定され、2021年3月より現地公開されたものです。遺構は城館跡が周囲より高くなっていて、切岸となっていて、虎口は坂虎口状のスロープになってます。標識には馬屋跡、井戸跡、堀切と言うものがありますが、やや無理を感じざるを得ません。しかしながら、伝承を確かなものにしようとされる地元の方々、城館と思われる箇所を整備し、説明板を建てられ、活動される事には敬意を表します。

説明板
歴史

松平氏は代々公家に仕えた家であったようで、松平兵部石見守は応永三十一年(1424年)に近江高島郡で加増され、永享二年(1430年)、この地に城館を築いたと伝わるようです。その後、松平氏は美濃の齋藤氏に従い、美濃でも所領を加増されたようです。さらに、松平土佐守は武田勝頼に従い、天正三年(1575年)、織田信忠との戦いに参戦し討死したとされるようです。 その後、この城は家老の浜源吾が土佐守の遺児を補佐したようですが、天正五年(1577年)、農民一揆で落城、浜も若君も自害したとの事です。<現地案内板より>

馬屋跡?     井戸跡?
城館全景
説明板より
  
切岸
虎口スロープと切岸
堀切??
城館側から眺望
麓のかやぶきの宿泊施設
かやぶき屋根
周囲の景色

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