山城 沓掛城



ファイルNo3703


              主郭西の堀切              

@ くつかけじょう 
  別名  

A住所:京都市西京区大枝沓掛町
B目標地点:洛西散策の森
C形式:山城  D比高:140m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切
G時代/人物:室町期?/?氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  散策の森駐車場から20分

J撮影・訪問時期:2021年01月

  

道案内 ←城跡   ←駐車場

京都市内中心部堀川五条の信号から国道九号線で来ると約5km先で桂川を越え、さらに約8km先が沓掛の信号で京都縦貫自動車道の沓掛インタの下です。この信号から約1.4km先の信号で左折し、京都霊園側に進みます。京都霊園入口の管理事務所の右手の道を進みます。約300m先で右折し京都縦貫自動車道をくぐると洛西散策の森の駐車場です。駐車場から京都縦貫自動車道沿いの道を(管理道で一般車侵入不可)約800mほど歩き、自動車道の老の坂トンネルのそばで右手に曲がり、散策の森の案内板の道から山に入ります。木の階段のある斜面を登り、尾根まで登ると左手に進みます。尾根途中の堀切を越え、休憩用のベンチを越えていくと道が下り出すところで右手に入り、少し登ると主郭です。

訪城備忘録

尾根に登ってから左手に向かいます。数年前の大雨被害でところどころが倒木・崩落がありますが、散策の森の遊歩道ですから道はしっかりしています。それでも尾根道は起伏があり、もしかしたら堀切跡?と思うような箇所もあります。暫く進むと浅いですが、あきらかな堀切があります。半分は岩盤状の堀切です。さらに進むと休憩用のベンチがあり、ここから洛西ニュータウン方向が見通せます。この休憩所からもう少し登ると遊歩道が下りになり、主郭南下の堀切と鞍部(標識のある地点)へ向かいますが、ここで右側の尾根を少し登ります。甘い感じですが段郭が数段あり、やや切岸がはっきりしているところを登ると主郭です。主郭の南下には帯郭があります。主郭は長細い郭ですが削平はしっかりしています。主郭の西に堀切があります。これも浅いですが、堀切と分かります。前述の通り、先ほどの遊歩道を下がったところにも非常に浅いですが堀切があります。全体的に遺構は薄く、明瞭とは言えません。戦国前期かそれ以前の城なのか急造の陣城なんでしょうか?

主郭南下の鞍部
歴史

詳細不明の城です。

尾根途中の堀切     主郭南下の堀切
  
尾根上
尾根上の堀切
尾根上の堀切
尾根上
休憩ベンチからの眺望
段郭     主郭南の帯郭
主郭
主郭西の堀切
主郭西の堀切
主郭北下    堀切を横から
主郭南下の堀切
道案内
山に入るところの案内板       登り斜面
尾根に登ったところ(奥に進みます)   Y字の地点(右手主郭)

近くの城・関連の城:

          




樫原陣屋(本陣) 3702

かたぎはらじんや  別名:玉村住宅  
住所:京都市西京区樫原下ノ原5  現状:個人宅 遺構:江戸期建物 説明板
道案内・訪城備忘録
京都市内中心部堀川五条の信号から国道九号線で来ると約5km先で桂川を越え、さらに約2.5km先の千代原口の信号で斜め左に入ります。府道67号線に入り、約1.2km先の樫原の信号を右折し府道142号線に入ります。約400m先の右が陣屋です。この府道142号線は旧の山陰道です。陣屋以外にも趣のある建物が残ります。
歴史
参勤交代で山陰道を往来した大名の宿舎となったところです。享保四年(1716年)に廣田氏が経営し、安政二年(1855年)より玉村氏が継承したとされます。建物は寛政九年(1797年)に焼失したものを丹波、丹後、但馬の十二藩の合力、拝借金で同年に再建されたものが現在まで残っているとの事です。<現地説明板より>

陣屋外観