丹後 高野由里城



ファイルNo3696

          背後の堀切                  

@ たかのゆりじょう 
  別名  

A住所:舞鶴市高野由里
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切
G時代/人物:室町期/今安氏?
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2020年12月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道の舞鶴西インタを下り、出口の信号を左折します。すぐに堀トンネルですが、信号から約1.2km先のロータリで国道27号線の舞鶴市内方面に向かいます。約2.5km先の京田の信号で、さらに600m先の城南中学校前の信号で左折します。道なりにクランク状に進み、中学校裏手の道を西に進みます。約800m先のT字を右折します。女布川沿いに北上します。約800m先T字で左折し府道66号線に入ります。50m先を右折し細い橋で高野川を渡り、すぐに左折し高野川沿いを進みます。約150m先の右手、民家2軒の間に細い道があり、裏手の丘に繋がってます。途中、左折し、丘陵先端まで登りますと城跡です。
 
訪城備忘録

民家の間の道は民家の敷地内を通るので躊躇します。裏手の坂を登ります。そのまま行くと丘の反対側の集落に行くようですが途中に左に登る道があります。ここを登ると主郭下の郭に至ります。矢竹群生しているので見通りは悪いです。切岸を登ると主郭ですが平坦地があるのみです。尾根側へ下りると郭があり(ここも矢竹だらけ)その先に土壇状の盛り上がりがあり、その先が堀切です。この堀切思いのほか幅かあり、深い堀切で見応えがあります。

歴史

築城時期、築城者は定かではないようです。史料では、一色氏の家臣の今安相模永則の名があるようです。 天正七年(1579年)、細川藤孝に攻められ落城し、今安氏は帰農したとされます。

  
切岸    主郭
尾根側切岸     尾根郭の土壇
堀切を横から
堀切から落ちる長い竪堀
堀切
堀切

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元3692⇒3696