丹後 志高城



ファイルNo3552


                            

@ しだかじょう 
  別名  

A住所:舞鶴市志高
B目標地点:志高神社・舞鶴市役所加佐分室
C形式:山城  D比高:140m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切
G時代/人物:戦国期/三上氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  志高神社から直登で30分

J撮影・訪問時期:2019年04月

  

道案内 

京都縦貫自動車道の舞鶴大江インタを下りて、府道を右折します。約800m先の地頭の信号で左折し由良川沿いを進みます。約5.5km先左手が志高神社です。志高神社から約800m先の志高の信号を左折します。登りの道を左手の宏玄寺の前を通り奥の墓地まで行きます。墓地の右手背後を登って行くと志高館城です。左手の谷部を登って行くと志高砦に至り、そこから頂部の尾根部分が志高城です。志高城の北郭から北東の尾根を降りていくと志高館城に至ります。
 
訪城備忘録

志高砦、志高城への登り道は上記の道案内が無難ですが、私は2回ここに来てますが2回とも志高神社の裏手を直登しています。実は2回目は志高神社の西側中腹にある寺の背後を直登して志高城のある尾根の西側へ出て志高城に向かい、志高城の北郭から北東尾根を下りていき、志高館城を見て、墓地のところにいったん下りてきて、再度、志高神社裏手から志高砦、及び、志高城の南側中腹の遺構を見たと言う効率の悪いことをしています。ですから、墓地から志高砦に至る道は通っていませんので、上記道案内は注意してください。

城域は山上の東西の尾根、北側に張り出した尾根、南の支尾根及びその中腹部に遺構が展開しています。尾根主郭西側は三重の堀切で防御されています。主郭には愛宕神社があり、西の堀切側に円弧の低土塁が残ります。また、主郭と南側下の郭との切岸高低差はなかなかなものです。中腹からこの南下郭までの支尾根に段郭が連続しており、その下に横堀的堀切から竪堀という遺構があり、支尾根を防御しているように見えます。さらに南斜面には竪堀が2条はありました。主郭から北側に下りるとすぐに2重堀切があり、その先が北郭です。北郭の北西下、北東下に堀切があり、北東下は二重堀切になってます。城域まで到達するのがやや難儀しますが、堀切多用で、その堀切が明瞭に残っている城跡でした。

麓にある志高神社
歴史

築城時期、築城者は定かではありませんが、丹後守護一色氏の家臣の三上氏の城といわれ、三上飛鳥之助宗室の名前が残り、永正年間(1504〜20年)頃、築城されたとも言われるようです。天正十年(1582年)一色氏は本能寺の変後は明智氏に従ったため、志高城もこの時期に細川藤孝に攻められて落城・廃城になったようです。

主郭 
北郭北西堀切を横から
地理院地図を加工 ※道がわからないので危険なため
  
西尾根三重堀切の一つ
西尾根三重堀切の一つ
西尾根三重堀切の一つ
三重堀切を主郭から
主郭を南下郭から    主郭土塁
北尾根主郭下堀切
北尾根二重堀切の北郭より堀切
北尾根二重堀切の北郭より堀切
北尾根二重堀切の北郭より堀切
北尾根二重堀切の北郭より堀切
北郭北西側堀切
北郭北西側堀切
北郭北東側堀切
北郭北西側堀切
北郭
北西尾根斜面
北西尾根斜面堀切
中腹遺構
中腹の地形
堀から竪堀       城域の支尾根を見上げる
南斜面への竪堀

近くの城・関連の城:志高砦+志高館城