丹波 今宮城



ファイルNo3406

見どころは圧巻の四重堀切

                四重堀切のひとつ         

① いまみやじょう 
  別名  

②住所:南丹市美山町高野~美山町和泉
    旧:北桑田郡美山町

③目標地点:今宮稲荷社
④形式:山城  ⑤比高:210m 
⑥現況:山林

⑦遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀
⑧時代/人物:戦国期/川勝氏
⑨満足度: 凸凸+
⑩最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  稲荷神社から30分

⑪撮影・訪問時期:2018年05月

  

道案内     ←登り口

旧京北町周山(現:右京区京北周山町)から国道162号線で北上し約25Km先、旧美山町静原の信号です。そのまま国道を進みます。1.8km先で左折し200m先の山裾の今宮稲荷社の鳥居を目指します。

京都縦貫自動車道からは、園部インタを下り、府道19号線に左折し進みます。6Km先で府道19号線は左折で(府道50号線との分岐点)、木住トンネルを越えて行きます。10Km先で府道19号は左折し(府道78号線との分岐点)、神楽坂トンネルを越えて行きます。6Km先で左折し府道368号線に入ります。4km先が和泉の信号を右折し府道12号線に入ります。600m先の静原の信号でここを左手国道162号線を進みます。
 
稲荷社鳥居から獣除けフェンスゲートを越えます。このゲート、昼間でも電流が流れているため感電に注意してください。またすぐにネットがありますが、これは下からくぐってください。10mほど斜面を直登すると中腹の道に出ます。これを西側(左手)に進むと木の段があるつづら道の登り口があります。ここを登ります。道は狭いですがしっかりした道です。南西端の虎口形状まで比高で200mほど登ります。道案内画像は下段にあります。

現在は集落側に駐車場もできて、神社側ではなく集落側に登り口があるようです。

訪城備忘録

美山町の島城近くの城です。近畿の城郭Ⅳに掲載されている城跡で、この本の文面には急斜面直登必至のように書かれていたため、覚悟して行きましたが、最近、城跡までの道が整備されたようで、細いですが麓近くから城跡までつづら道ができていました。 この城は連郭式で南北に長い城で登ってきた南西端に虎口のような形状があり、そこから城域に入ります。段郭を3つほど越えると明瞭な堀切と坂土橋のように登りながらの土橋が残ります。ここを越えると4つほど郭を越え、南北に細長い広い二郭を越えると主郭です。二郭までは明瞭な土塁は無かったんですが主郭の北側には明瞭な土塁、櫓台、虎口が残っていました。虎口と書きましたが土塁と主郭背後の櫓台に挟まれた開口部です。ここに虎口も?です。この城の最大の見所は主郭北下の4重堀切です。なかなか大きな堀切が連なります。この城は川勝氏の城で島城の前の居城というのが通説のようですが、あまりに縄張りが違いすぎます。同じ氏族が作った城には見えない感じです。近くの中村城も川勝氏の城ですが、こちらも今宮城とも島城とも縄張り的技法が違い、同族の城??という感じになります。年代の差なんすかねぇ。

今宮稲荷社の鳥居
歴史

天文年間から天正年間に、秦河勝(飛鳥時代の秦氏)を祖とすると称していた川勝氏が築城したとされます。今宮城が先でその後島城を築城し居城を移したとされます。川勝豊前守光照の名があります。川勝氏はここ野々村庄を支配し、足利氏~織田氏~豊臣氏~徳川氏と順次従ったようです。織田氏の時代は明智光秀の丹波侵攻には早くから従ったと伝わります。江戸期は旗本として存続したようです。

南の堀切と土橋を横から     四重堀切      
登城口を遠望
  
南西端虎口形状
南の堀切と土橋
南の堀切からの竪堀   堀切に連続する竪堀
南の堀切・土橋を横から
南の堀切・土橋を上から
段郭切岸
帯郭     二の郭
主郭(土塁・虎口?)
主郭虎口横竪堀     主郭虎口から堀切を見る
四重堀切(主郭下)
四重堀切
四重堀切
四重堀切
四重堀切
四重堀切
四重堀切
道案内
稲荷社前のフェンスゲートを抜ける  中腹の道を西へ
つづら道の登り口    つづら道

近くの城・関連の城:島城