丹波    石原城



ファイルNo3286


                            空堀

@ いさじょう 
  別名:洞玄寺城  

A住所:福知山市石原2丁目
B目標地点:洞玄寺・石原駅
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:寺

F遺構等:郭・堀・土塁・説明板
G時代/人物:期/氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道から5分

J撮影・訪問時期:2017年07月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道福知山インタを下り、国道9号線を福知山市内に向かいます。約400m先で国道9号線の側道に入り、右折します。1.1km先の信号で斜め左へ進み、府道525号線に入ります。約1.6km先の石原の信号で左折し府道8号線に入ります。100m先の信号の左側高台が洞玄寺でここが城跡です。周囲に駐車場はありません。府道525号線から洞玄寺の裏手の府立工高に入る道あり、高校の東側の道を行くと寺の裏手に至ります。

訪城備忘録

石原の集落背後の丘陵先端に洞玄寺があります。県道から行くと石段を登り、山門を越え、本堂前から左手に行くと両サイドに土塁が見えます。寺の裏門から外側に出ると土塁に沿うように空堀が残ります。寺の南側をすべて囲むように土塁と空堀があり、裏手そばに説明板があります。東側の土塁は高く、櫓台かもしれません。西側に続く方はカギ状に折れも入っています。土塁、空堀は南面全域と東側一部と西側にも残っていますが、寺の建物等で西側は破壊されているようです。北側はなんらの遺構もなく、この城は未完の城とも言われるようです。しかし、思った以上に残っている城跡でした。

県道側からの寺への石段
歴史

天文年間(1532〜54年)に大槻安芸守光頼、あるいは、正治が築いたとされます。ここは隠居城で、大槻氏は安芸より移住しこの地に土着し高津城に拠ったようです。 史料には文明十一年(1479年)大槻豊前守盛雅などの名前があります。城は未完とも言われています。江戸期の庄屋に大槻氏の名前もあるため、江戸期は帰農したのかもしれません。

東側土塁          西側土塁と空堀
  
西側土塁と空堀
     
ヌクモ山城遠望

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