丹後 久美浜城



ファイルNo3262


            堀切状            

@ くみはまじょう 
  別名:松倉城・

A住所:京丹後市久美浜町久美浜
    旧:熊野郡久美浜町

B目標地点:久美浜小
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁・碑
G時代/人物:戦国期/松倉氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分

J撮影・訪問時期:2017年05月

  

道案内 

京都縦貫道(宮津天橋立インタから無料区間・国道312号線になります。)の京丹後大宮インタを下り、左折し府道655号線に入ります。約2.5km先の酒戸古の信号で右折し国道312号線に入ります。約35km先、本願寺前の信号で斜め右折し国道178号線に入ります。約500m先の十楽の信号で左折し、府道11号線に入ります。約800m先で、道がT字になりますが、正面が久美浜小でここが陣屋跡です。神谷神社はT字から約100m手前を左折し、約500m先左手が神社です。城跡へは小学校からさらに府道11号線を約300m進んだ左手の古城山の稲荷神社の参道を進み、遊歩道を登ると城跡です。

訪城備忘録

頂上の主郭を中心にふたつの尾根に段郭を各五段ほど配している馬蹄形の城跡です。技巧的とは言えず、古いタイプの城跡です。関ケ原前後まで使用されていた城のわりには改修とかはされなかった感じです。主郭背後、南西下に堀切が二条あります。(この城については訪城が2017年できの個別ページ作成が2024年のため、記憶が薄れています。記述違いもあるかもしれません。)

歴史
城跡案内板





築城時期、築城者は定かではないようです。城主として伊賀氏、一色氏、清水氏の名があるようで、この城に前には別の場所に日村砦(ひまおか)(日間岳砦・日村岳砦)があったとされます。一色氏の家臣の松倉周防守が入りましたが、天正十年(1582年)、織田信長の命による細川藤孝(幽斎)によって攻められ周防守は討死したとされます。その後、細川氏はこの城に松井佐渡守康之を入れます。関ケ原の戦い後に細川氏は豊前に転封となり、松井氏もそれに従い、臼杵に移ったため、城は廃城となりました。




堀切状
登り道途中から
城跡碑(松倉城と刻まれています。)
  
登り途中
土塁状
段郭
城跡から眺望
主郭
堀切@
堀切@ 
堀切A
堀切A 
堀切A
久美浜陣屋 3261
@ くみはまじんや 別名 久美浜代官陣屋 
A住所:京丹後市久美浜町久美浜 旧:熊野郡久美浜町 
B目標地点:久美浜小  神谷神社  C形式:平城  D比高:ーーm E現況:小学校
F遺構等:説明板・移築建物・井戸  G時代/人物:江戸期/徳川幕府  H満足度: 凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:2分
J撮影・訪問時期:2017年05月・2024年10月

陣屋は小学校の敷地になっていて明瞭な遺構はありません。正面横に説明板があり、校舎前の水路に陣屋橋という橋が架かります。ただ、城山麓に陣屋の井戸が残ります。 また、近くの神谷神社に陣屋の玄関が移築されていますが、すでに朽ちる寸前です。さらに、豊岡市には明治になって建てられた久美浜県の正門が移築されています。
【歴史】
享保二十年(1735年)、周辺の幕府直轄地管理のための代官所の陣屋として代官の海上弥兵衛の時にこの地に建てられたようです。明治元年(1868年)、置県令にて久美浜県となりました。明治四年に豊岡県に統合され消滅しました。ですから、移築建物は県庁遺構として認識されているようです。

説明板      陣屋橋
御陣屋清水
陣屋玄関移築(神谷神社)
久美浜湾
久美浜県庁正門 <兵庫県豊岡市・豊岡陣屋に移築 2019年4月撮影>
豪商 稲葉本家

住所:京丹後市久美浜町久美浜  

稲葉家は美濃の稲葉一鉄の末裔と言われます。糀の製造で富を得、廻船業でさらに大きくなり、周囲の藩に貸し付けを行う金融を独占したようです。主屋は明治二十三年(1890年)に建てられました。

開館時間を過ぎていたため周囲を見ただけでした。

表門
現地案内板より
東稲葉家母屋
稲葉家の分家で建物は平成に建て替えられたものです。

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