山城 | 高雄城 付:神護寺(城郭寺院) |
ファイルNo2946 |
大堀切が見どころの城跡
@ たかおじょう |
道案内 | |||
JR花園駅そば丸太町通りの双ケ丘の信号を右折し国道162号線に入るか。立命館大学衣笠校舎ー龍安寺ー仁和寺と抜ける府道29号線の福王子の信号で右折し国道162号線に入ります。(双ケ丘の信号と福王子の信号は間の距離は1.8km) 周山街道と呼ばれる国道162号線を福王子の信号から約9km先の左手に嵐山高雄パークライン(有料)の入口があり、ここで大きなU字カーブを過ぎ、600m先でもう一度大きなUカーブを通ります(高雄バス停前)。300m先で左へ大きなカーブで、200m先で左折します。700mほど清滝川沿いを走ると旅館の駐車場があり、ここに車は停めます。(駐車料金500円) 駐車場から川沿いを少し歩き、赤い橋を越えて、神護寺への石段を登ります。神護寺まで比高で100mほどです。神護寺で拝観料500円(2015年4月からは600円だそうです^^;)を払って中に入ります。 |
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訪城備忘録 | |||
私は2月の初めに一度来ましたが、資料不足で高雄山頂(寺から比高250m)周辺ばかり探して断念しました。2月の最後の日にリベンジしました。 寺の右手、金堂の奥の多宝塔の横から山に入ります。途中に赤いドラム缶のある分岐点があり、まっすぐ行くと山頂、左折すると文覚上人の墓、性人親王の墓に向かう道です。ここを進んで、お墓のところで親王のお墓の右側から山に入るとすぐに郭跡です。城域は整備されているわけでは無く、倒木、シダが生い茂ってますので、見通しは良くないですが、主郭の北端には三日月状で土塁が残り、その向こうには大きな堀切が横たわっています。さらに、その先を少し行くと小堀切がもう1条あります。 主郭東下の張り出し郭から斜面に竪堀が2条あるのですが、シダに覆われていてあるのがやっと分かる程度です。文覚上人のお墓の位置から眺望が開けていて、京都市内が望めます。 なお、2月初めに行った高雄山山頂付近ですが、山頂北側は急斜面になっていて尾根は堀切状になっています。今は登山道から堀切状の箇所へすぐ入れる状況ですが、この道がなければこの尾根の堀切状は防御になります。 山頂に見張り・狼煙の郭でもあったんかな? 神護寺には高雄城から延びる尾根に段郭が認められ、神護寺全体が城郭寺院であったとの事です。 http://www.kyoto-arc.or.jp/News/s-kouza/kouza254.pdf ← 京都考古資料館資料 |
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延歴年間(782〜806年)に和気清麻呂が神護寺を創建したものです。城は何時頃出来たものかは不明のようですが、南北朝期の建武三年(1336年)に足利直義から新田義貞に与した神護寺に対して、城郭部分を破棄するよう求めたという記録があるようです。 応仁の乱の時期は記録が無いようですが、天文十六年(1547年)に、細川国義がこの城に籠ったところ、細川晴元に攻められ落城したようです。 神護寺も城郭寺院として構成され、高雄城はその詰め城であったようです。 (京都考古資料館資料より) 補則 天文十二年(1543年)〜天文十六年(1547年)は細川高国の養子の氏綱が挙兵し、晴元・三好長慶に対立していた時期で、天文十六年は晴元が氏綱を鎮圧した年で、上記の国義は高国ー氏綱側の武将という事かな? 晴元も天文十七年に三好長慶に京都を追われています。 |
間違えて登った高尾山頂付近です。(城跡写真ではありません) |
神護寺 |
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