丹波 / 保津城



ファイルNo2630


                          堀切  

@ ほづじょう 
  別名 

A住所:亀岡市保津町
B目標地点:文覚寺・太師堂
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:雑木林

F遺構等:郭・土塁・堀切・案内標識
G時代/人物:南北朝期/
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2011年05月

  

道案内 

京都縦貫道路の亀岡インタで下り、国道372号線を亀岡市内に進みます。1.5km先、加塚の信号で国道9号線を横断し、府道25号線に入ります。300m先で府道は左折、1km先で亀岡駅前を越え、府道25号線は左折で道なりにJRを越えます。道なりに保津橋を越えて、600m先、最初の信号で右折します。細い集落の道を1kmほど進むと山すそに出ます。右折しすぐに酒屋倉庫の手前で左折すると50m先、倉庫の裏手に明智越の入口案内板があります。
 
訪城コメント

入口を入り200mも進むと「保津城」の案内標識があります。三段程度の郭と堀切が確認でき、土塁の痕跡のような盛りあがりが認められます。城跡背後に空池と呼ばれる干上がった池があり、そこに土橋地形がありますが、後世に形成された地形のように見えます。この土橋を進むと山の鞍部に至りますが、ここに二重の竪堀のような地形がありますが、遺構なのかは?です。土橋の所から明智越の道を比高で250mを30分ほど登ると峯の堂という山頂に至ります。明智越はまだまだ続きますが。峯の堂と書いて「むねんどう」と呼ぶようです。説明板には、ここは清和天皇が崩御された場所であり、明智光秀が本能寺攻めの前に愛宕山に参拝した時に通ったのもこの道と想像されると記され、明智光秀を思い、峯の堂と書いて無念堂と呼ぶようになったとの事です。

城跡標識
歴史

築城時期、築城者は定かではないようです。ただ、南北朝期の観応三年(1352年)に攻め落としたという史料が残っているようです。


堀                       郭

明智越入口              城跡背後の土橋?

      明智越・峯の堂(むねんどう)  
峯の堂手前の尾根                    峯の堂  

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