丹波/ | 笑路城 |
ファイルNo1850 |
@ わらうじじょう |
道案内 | |||
京都縦貫道の亀岡インタを下り、国道423号線を池田方面に進みます。約5km先の法貴口の信号から約2kmで峠を越え、さらに約2.5km先の犬甘野口のバス停から左手に見える鉄塔のある山が城跡です。バス停そばの能勢への笑路の三叉路の300m手前に山沿いの農道を進む道とバス停そばから農道を進む道があり、双方ともに城跡の案内標識があり、途中で合流し山へ向かいますが、すぐにY字になり、ネットに張ってある左側の道に入ります。すぐゲートがあり、そこを開けて入ります。左側の山沿いの塹壕のような道を進み、山中のY字を右手(城跡案内あり)に登って行くと城跡東側の堀切に至ります。 車で行かれると付近に駐車できるところがありません。ご注意ください。 <国道423号線のバス停はバス停部分の路肩が広がっています。そのバス停の亀岡市街行き側のバス停には歩道があります。その北側の外側に余裕スペースがあり、普通車なら1台は停められます。その横は軽四なら停められるスペースもあります。歩道にはややはみ出しますが、この辺は歩行者は少ないので邪魔にはならんと思います。また、バス停にもはみ出していないのでバスの迷惑にはならんとは思います。但し、こう書いたからと公認されているわけではありません。あくまで自己責任で駐車するかは決めてください。> |
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訪城備忘録 | |||
前回は、左側から廻り込む道がよくわからず、東側下の水田から斜面を直登してしまいました。 登城道通りに進むと東端の堀切に至ります。登ると東郭です。東郭の奥は北側半分くらい高い段になっていて、結果、東郭は二段の構成になってます。東郭の東端はくの字の土塁が残ります。土塁の上から東端の堀切を監視できます。東郭の西側に切岸があり、その上が主郭です。東郭の高い方の郭の北側に虎口があり、石垣も残ります。ただ、この虎口どこにつながるか不明です。主郭の南下は東郭から繋がる帯郭が主郭の西下までつながっており、主郭西側南側に石段の痕跡も残る虎口です。 主郭は大きなくの字の郭で、東から南面の切岸斜面には諸所に石垣の痕跡が続きます。切岸の上の方にだけ石垣の痕跡が残ってますが、元々から鉢巻石垣だったんだろうか。主郭はちょうど真ん中に仕切土塁があります。これで主郭が東西に分割されてます。この仕切土塁は法貴山城主郭にもあります。西側は現在鉄塔が建っており、仕切土塁も破壊を受けているようですが石積みの痕跡も残ります。前述の繰り返しになりますが、主郭の南西側下(東郭に続いて)から南側下、西郭まで帯郭が巡り、途中(鉄塔下)に主郭への虎口があり、この周囲には特に石垣の痕跡があります。虎口には石段の痕跡も残ります。虎口横は櫓台跡との事です。なお、説明板が倒れて主郭の土塁そばに伏せておかれてました。 さらに主郭の北西下にも郭があり、主郭斜面が竪土塁状になっていますが、これは遺構かはどうでしょうか? また、西尾根下に浅い堀切が二条あり、その先にも削平地があります。 土豪の城と思ってましたが、けっこうしっかりとした城でした。明智光秀時代の改修のようです。 |
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永享年間(1390〜1440年)末期に長沢正綱によって築城されたとされます。その後、補強・改修が繰り返され、戦国期中期には天守が構築されたようです。史料には天正五年(1577年)頃の城主に長沢家綱の名があり、当初は明智光秀に敵対しましたが、後に従属し、天正十年(1582年)の本能寺の変の際、山崎の合戦で討死したとされます。明智氏に従属してから改修を受けているようです。 |
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