【道案内】
舞鶴若狭自動車道の福知山インタで下り、国道9号線を市内に向かいます。約3.5Km先で土師川を渡り、高架を下りた先の東堀の信号を右折し、府道55号線に入ります。約700m先でJR山陰本線のガードを越え、約350m先の信号で左折し約150m先の左手に公園有料駐車場があります。
【訪城備忘録】
2006年、約十五年ぶりに福知山城を訪れました。前回は1991年だったか1992年だったかですが、京都市内から国道9号線をひたすら走って行った記憶があります。(笑) その後、何度か訪城しています。天守は復興天守ですが、外観は下見板張り風に建てられていて趣があります。ここの天守台石垣は明智光秀当時のもので、転用石を多く使用されており面白いです。この転用石、築城を急いだためではありますが、きちんと供養され積まれたと伝わります。本丸には大きな井戸と番所が現存しています。由良川越しの天守、伯耆丸からの天守(夜景)もなかなかよかったですね。
【歴史】
小笠原長清の末裔とされる塩見頼勝が横山城を築いたのに始まります。天正三年(1575年)に始まった明智光秀の丹波平定は、天正七年(1579年)に横山城の塩見信房、八上城の波多野氏を降し丹波一国を平定、光秀は横山城を改修し福智山城と改名しました。築城には付近の寺社などから墓石や五輪塔等を多数供出させたもので、今も天守台に残ります。福智山城には甥で女婿の明智秀満が居城しました。天正十年(1582年)の本能寺の変で光秀が織田信長を倒しますが、山崎の合戦で羽柴(豊臣)秀吉に破れ、福智山城は天正十四年(1586年)に羽柴秀勝の家臣の杉原家次が在城、その後、青山氏、桑山氏、小野木氏が城主となりました。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、小野木重勝は西軍に属したため、自刃しました。この年、有馬豊氏が入封し城を大改修し整備しました。以後、岡部氏、稲葉氏、深溝氏と城主が変わり、寛文九年(1661年)に朽木稙昌が32000石で入封し、朽木氏が福智山から福知山に改めました。以降、朽木氏が14代続き、明治維新まで続きました。
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