山城/ | 物集女城 |
ファイルNo1218 |
思いがけない感じで城跡の堀と土塁は明瞭に残る
@ もずめじょう |
鶏冠井城 3820 寺戸城 3821 |
鶏冠井城(かいでじょう) 向日市鶏冠井町御屋敷(鶏冠井公民館・北真経寺) 公民館前に説明標識があるのみです。 【道案内】国道171号線の東土川の信号を西に入り府道202号線を進みます。約800m先(JRとのアンダーパスをくぐった先)のT字を左折し府道をさらに進みます。約200m先の信号を左折します。約600m先の十字路を左折、約50m先のJRの高架をくぐりさらに約50m先を右折します。約50m先を左折した約50m先右手が鶏冠井公民館です。【歴史】築城時期・築城者は定かでは無いようです。西岡衆(乙訓岡惣国一揆)である物集女氏、神足氏、中小路氏、革嶋氏ら36家のひとつの豪族です。応仁元年(1467年)からの応仁の乱では西岡衆の大半が東軍に付くも、鶏冠井氏は西軍に付きました。文明九年(1477年)に応仁の乱が終結後の西岡衆に鶏冠井雅盛の名があり、中心的立場であったようです。大永七年(1527年)の細川高国、細川晴元の抗争では鶏冠井氏は晴元方であったようです。その後は三好氏方であったようです。永禄十一年(1568年)、上洛した織田信長に付いた革嶋一宣に攻められ落城し没落したようです。 寺戸城 向日市寺戸町古城(西部防災センター・例慶公園) 路地に標識だけと思っていたんですが府道沿いに新しい碑も立っているようです。 【道案内】】国道171号線の東土川の信号を西に入り府道202号線を進みます。約800m先(JRとのアンダーパスをくぐった先)のT字を左折し府道をさらに進みます。約600m先の競輪場前の信号を右折し府道67号線に入ります。約500m先の中垣内の信号を左折し府道207号線に入ります。約100m先左手角あたりに碑があります。【歴史】築城時期は不明ですが南北朝期に地頭になった竹田氏が築城したようです。応仁二年(1468年)、城主は野田氏であったようで、ここに東軍が陣を張り、鶏冠井城を攻撃したようです。 |
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