道案内 |
高岡市内の国道8号線四屋高架から国道160号線に入り氷見市方面に向かいます。四屋から15Km先(氷見市中心部を過ぎます)の稲積の信号で左折し県道304号線に入ります。1.8Km先の余川の信号で右折し氷見広域スーパー農道に入り森寺トンネル側に進みます。余川の信号から600m先で左折し、さらに300m先(興聖寺の手前)で右折し林道を登ります。1Kmほど林道を登ると尾根の林道に出ますので左折し1.8Kmほど林道を進みます。林道が大きく右にカーブするところの手前に城址碑と説明碑があります。
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訪城備忘録 |
林道の上の尾根下には義仲道(一刎街道)という古道があり、この道が北へ向きを変える位置にこの城はあります。林道沿いの城址碑のところから上に登る小道があります。5分ものぼると平坦地に出ます。植林されていますが副郭の跡と思われます。この上が主郭ですが藪がひどくて登れませんでした。資料では尾根先端を主郭とし、北と東にL状に段郭を配し、東側城址先端に割りと大きな堀切があるようです。この日は天気もよく青い空に遠くに見える富山湾(と氷見の町)が綺麗でした。富山湾越しの立山連峰がかすんでいたのは残念でした。
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主郭方向遠望
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観応三年(1352年)に越中の桃井直常を討伐するために、能登の吉見氏頼がここに陣を張り、砦を築いたとされます。桃井軍はここを攻撃したようですが、撃退されたと伝わるようです。翌年の文和二年(1353年)のも同様の戦いがあったようです。天正四年(1576年)には上杉謙信がここに陣を張り、森寺城を攻略したとも伝わります。
【義仲道】
氷見の穂積から芝峠を経由し中能登町の久江に抜ける古道を言います。寿永二年(1183年)木曽義仲が能登へも進撃につかった道と言われ、宝徳元年(1449年)には蓮如上人が布教のためこの道を通ったとされます。天正四年(1576年)には上杉謙信が七尾城攻めの際にここを通り、一刎城に陣を張ったという言い伝えもあります。
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