越中 / 飯久保城



ファイルNo1540

主郭背後の削り残しの土塁と堀切が印象的な城。

                       主郭削平地と削り残しの土塁   

@ いいくぼじょう 
  別名 

A住所: 氷見市飯久保
B目標地点:湖南小学校・八幡神社 
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・土塁・堀切 
G時代/人物:戦国期/狩野氏・小浦氏
H満足度:凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社鳥居より10分

J撮影・訪問時期:2006年08月

  
桝形虎口と土塁

【道案内】  ←登り口八幡神社の位置

国道8号線の高岡市内の四屋高架より国道160号線に入り氷見市に向かいます。2.0Km先の西海老坂の信号を直進、(あるいは能越自動車道高岡北インタを下り、県道32号線へ左折し進み、1.6Km先が西海老坂の信号で、左折し国道160号線に入ります。) 西海老坂の信号から3.1Km先の上田子の信号で左折し県道296号線に入ります。2.2Km先の堀田の信号を直進し900m先の右手が湖南小学校です。ここを越えて100m先を左折し田んぼの中を700mほど進んだ飯久保集落の端に八幡神社がありここより登ります。

湖南小学校そばにも登り口の標柱がありますが、ここからだと尾根先端まで登り、尾根を1Kmほど歩くことになりますが、後600mの標柱から先は夏場で尾根道がわからなくなりますのでご注意のほど。
   


【訪城備忘録】

最初は湖南小学校の斜め手前の県道沿いの登り口より比高20mの尾根先端まで登り、尾根沿いに進みました。尾根先端まで階段も設置してあり楽チンと思ってましたが、尾根先端の標識は城跡まで1000mとあり、少し落胆^^; 気を取り直して尾根道を進み400m進むと次の標識があります。しかしながら、ここから尾根道はどう進むのかわからなくなります。夏場で下草が多いせいでしょうが、結局周囲を降りたり登ったりして30分ほど迷ったのみでした。これは、連続堀切を登って下りてたようです。今は木の階段がつけられているらしいです。

いったん降りて、集落側にも登り口がないかと行って見ましたら、八幡社からの登り口がありましたので、そこより登る事にしました。集落内は道が細いため、車は少し離れた場所に止めたほうがよいと思います。鳥居から右手の石段を登ると神社で、左側の尾根先端より登って行くと城跡です。最初にこじんまりですが、しっかりと残っている桝形虎口に至ります。ここの城跡には各所に案内板が設置してあり、ありがたいです。市町村が設置したものではなく、地元の方で設置されたようです。虎口より進むとすぐに小さな堀切と両サイドに竪堀が落ちています。この小さな堀切で分断して虎口郭が独立しているようです。さらに進み5mほど登ると主郭で、東西に広い平坦地と削り残しの分厚い土塁が残っています。東南部は一段高く物見台があり、その東側には深い堀切がありましたが、斜面がきつく堀切に降りるのはやめにしました。資料では、これらの尾根伝い東側にもうひとつの郭群があるようで、北側・南側に幅のある堀切も残るようです。小学校側から尾根伝いに来ると、この東側郭群から入る事になるのと思います。夏場で草も伸びていて見づらい状態ではありましたが、遺構はよく残っていて満足できました。なお、湖南小学校の正門前には周辺のイラストマップが設置してあり、この周辺には飯久保城の他に堀田城、神代城があると書かれてありました。


【歴史】

築城年代などは定かではないようですが、永禄年間(1558〜70年)に狩野中務が在城したとされます。狩野氏は鞍骨山城を本城としこの一帯を領し神保氏と関わったとされます。また、戦国期に小浦石見守一守が拠ったともされるようです。小浦氏は氷見市久目の池田城に居城していた人物のようです。


  
主郭下郭より主郭を見上げる
  
竪堀
  
  

近くの城・関連の城:惣領砦

          

     主郭土塁     主郭背後の堀切(上より)
八幡社の城跡登り口標識