越中/ 千久里城



ファイルNo1539

           山頂北側下の郭(主郭)   

@ ちくりじょう 
  別名 

A住所: 氷見市中尾〜泉
B目標地点:白山神社・竹里山 
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・土塁・堀切・堀 
G時代/人物:南北朝期/桃井氏
H満足度:
凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道中腹登り口から15分

J撮影・訪問時期:2006年06月・2007年10月

  

道案内      ←白山神社

高岡市内の国道8号線四屋高架から国道160号線に入り氷見市方面に向かいます。四屋から10Km先(氷見市中心部を過ぎたあたり)の幸町北の信号で左折し国道415号線に入ります。1.8Km先の大野の信号で左折し900mほど進んだところで右折し中尾の集落に入ります。山すその細い道に入り白山神社まで行き、そこより中尾上田林道に入り途中から竹里山山頂まで登ると城跡です。
 
訪城備忘録

白山神社・林道はすぐにわかりましたが、山への登り口がわかりません。竹里山の岩屋堂(昔の修験者の洞穴らしい)の標識はあるけど城への道標はありません。そこに区長さんが通りかかられ、ご親切にも登り口まで案内いただきました。(感謝) 本来の登り口は岩屋堂の標識からもう少し登ったカーブミラーの先に右手尾根に登る道があります。それよりもう少し林道を登ったところに近道の道がありました。これは区長さん曰く、中尾集落の共同アンテナ用の道だそうです。急な斜面を10mも登ると左手方向に道が続きます。少し進むと急な道が右側斜面についています。ロープが設置してありますので迷わないと思います。一気に山頂まで登ります。山頂は小さな平坦地で物見台程度です。ここに確かにアンテナが建っていました。この山頂の物見台であろう小規模の削平地から東に延びる尾根に段郭があるようですが藪で入れません。西に下りたところには小規模な堀切がありました。山頂の北側へ10mほど下りると大きな郭があります。ここも藪でとても中には入れません。 (資料では北東尾根に三段ありこの郭間は大規模な堀切で遮断されているようです。) 上段の郭は南側に帯郭と空堀を備え、北側の一段下に帯郭が巡るようですが、草木に覆われよくわかりません。ここが主郭と考えられます。 (資料では主郭の北側の尾根が大きな堀切が2条あるようです。中間の郭の東には土塁も認められるようです。) 縄張り的にはおもしろそうな城ですが藪状態でどうしようもありませんでした。冬場か春3月くらいしか見られないかもしれません。欲求不満で下山しました。 

山頂の眺望
歴史

南北朝期に築城されたと推定されています。北朝方に敵対した越中の桃井直常は北朝方の能登守護吉見氏頼らに対抗するため作られた城塞群のひとつのようです。その後延文四年(1359年/正平十四年)に越中守護の井上入道(普門俊清)が足利幕府に敵対したため、能登吉見氏らが討伐に向かい、この際に落城しています。 この際に白河城(氷見市白川)・木谷城(氷見市稲積)も同様に落城しているようです。その後、戦国期にも利用されたと考えられます。
山頂西側下の堀切           山頂北側下の郭全景(主郭)
  林道登り口(中央の窪みから)     山腹の道(ロープが張ってあります。)
  
中尾集落側から遠望            上田集落側から遠望

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