越中 / 広瀬城
小白山砦



ファイルNo0753


                   尾根上の郭(主郭)と土塁  

@ ひろせじょう 
  別名 
A住所:南砺市館〜小山
     旧:西砺波郡福光町
B目標地点:妙敬寺
C形式:山城  D比高:220m 
E現況:山林
F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・説明板
G時代/鎌倉期/加藤氏・広瀬氏  
満足度;凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道から主郭まで30分

J撮影・訪問時期:
2008年07月・2014年04月

  

道案内  ←説明板の位置  ←林道入り口 

東海北陸道福光インタを下り、国道304号線を右折しJR城端線福光駅前を通過300m先の角田の信号で左折し国道304号線のバイバスを進みます。1.4Km先の中ノ江の信号で国道304号線と県道355号線が交わる変則5差路を左折し県道355号線を進みます。信号より3Km先(信号より2Km先で左手の真敬寺を通過します)で田園の中の交差点を右折約1Km先の山麓まで行きます。ここが館集落です。ここから林道への道はダートで行けません。県道355号線を700mほど進んだ本敬寺を過ぎたクランクカーブのところで右折し医王山の登山口に向かいます。1.4km先の登山口手前に尾根上に林道がありますのでここへ右折します。 林道の山側に説明板があります。小山の集落からも林道に登れます。
 
訪城備忘録

館集落まで行きましたが居館の跡らしきところはわかりませんでした。この集落に「成政」というお酒を造る酒造会社があります。(^v^) 城は医王山近くの城ヶ山の尾根と山頂です。林道を進むと林道沿いに説明板があります。この説明板の左手に木の階段風になってるところら登りますが、前回は夏場で藪がきつくてとても登れる感じではありませんでした。積雪が無くなり、雪の重みで草木がなぎ倒された状態で、新芽がまだ出ていない4月初めまでのこの時期でないと登れないと思う城跡です。

一応最初だけは木の階段風の箇所がありますが、少し行くと道らしいものは無くなります。伸びている夏場なら草木は背丈ぐらいはあるのでしょうが、今の時期は積雪でなぎ倒されていますが、足場は悪いです。トゲトゲの草木もありますし、倒木も多いです。細い尾根を登っていきますが、途中、とても藪状態で尾根も歩けない箇所は斜面の少しでも歩けるところを探しながら迂回して進みます。頼りは地籍調査の黄色いテ−プです。10分も登ると土塁を伴う段郭、背後に堀切という箇所が数か所あります。大きな土塁は2m以上ありました。中腹の郭は思ったより広い郭もあり、背後にはわかりにくいですが、二重の堀切のある郭があり、ここが主郭のようです。さらに進むと、本当に刀の歯のように細い尾根が山頂下まで続きます。山頂へは急な岩場と藪の斜面を5mほど登りますが、私はこの下で断念しました。山頂まで5mですが、この藪の斜面が細く急で危険を感じたためです。説明板からすると山頂は詰めの郭で、案外大きな郭と櫓台があるようですが、残念ですがここまででした。 でも、満足です。普通なら登れない城でしたから。

城跡方向
歴史

鎌倉期、地頭職の藤原氏の家臣の加藤右衛門佐が築城したのち、上田作兵衛、山口新左衛門、清水将監が在城、その後、広瀬氏が在城しこの一帯を領したと考えられます。麓に広瀬館として居館がありました。佐々成政が越中を支配した天正十一年(1583年)以降一時期佐々成政の属城になりますが、廃城に関しては不明です。

小白山砦
広瀬城の出城です。元々は柿谷寺の境内であったとされ、後に若宮社がありました。今は畑地と水道施設になっている支尾根の先端に位置し、けっこう見晴らしはいいです。

  堀切           段郭(主郭)を土塁横から見る
段郭(主郭)を土塁横から見る         堀切
2014年時説明板         2008年当時説明板
林道近くより山頂方向遠望       林道近くより山頂へ続く尾根遠望
山中よりの眺望
尾根最初の遺構
堀切       土塁
土塁        堀切
尾根
尾根端から山頂を見上げる
    妙敬寺         登山口の道(後方医王山)
城跡遠景
小白山砦 1916 
南砺市小山
説明板と郭

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