越中/ 大村城



ファイルNo0086

わずかに土塁・堀らしき遺構も残る城跡
          城跡遠景    

@ おおむらじょう 
  別名

A住所:富山市海岸通  
B目標地点:瑞円寺
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:寺・宅地・田畑

F遺構等:土塁・堀・説明板
G時代/人物: 戦国期/轡田氏 
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  瑞円寺山門前駐車場から1分


J撮影・訪問時期:2002年10月・2016年08月
         
(2022年09月)

  
土塁

道案内】 

富山城から国道41号線で東へ進みます。4Km先荒川東部の信号で左折し県道56号線を進みます。3Km先で国道8号線(地元では8号線バイハスと呼ばれる新8号線)を横断し、1.7Km先の富山東高校前のT字で左折し国道415号線に入り、1.2Km先の中田の信号で右折し、1.5Km先の海岸通りの信号で右折し県道1号線に入ります。600m先の田畑新町の信号で右折し600m先で路地に右折300m先が瑞円寺です。
(この道案内は遠回りをしてますが一番わかりやすいかと思いましてこのような道順にしました。)



【訪城備忘録】

瑞円寺裏手の竹薮に土塁が残ります。また、その土塁の外側あるいは寺の北側の道に沿って堀の痕跡が認められます。現在、城跡の半分は寺ですが東側半分は個人宅のようです。そちらのお宅の門は城門のように見えます。(遺構では無いと思いますが・・・) 個人宅側周囲も土塁・堀の痕跡が認められます。近くに精霊塚があり、大村城落城に際の戦死者を葬ったとされ、雅正の墓とも言われるようです。この近くに大村城からの抜け穴とも言われる穴も見つかったとの事です。

大村城の西側、ライトレールという電車の東岩瀬駅から岩瀬浜駅の間の西側、富岩運河・神通川の間に回船問屋や造り酒屋などの古い町並みが連なる地区があります。

【歴史】

永正年間(1504〜20年)〜天正年間初頭(1573年〜)に轡田豊後守が築城し居住した城です。神保氏に従っており、上杉氏に抗しましたが、敗れた後は上杉謙信に属しました。 越中の国人によくある上杉氏に造反を繰り返したようです。天正六年(1578年)、轡田豊後守雅正は上杉氏の臣、河田長親に攻められて落城、雅正は討死しました。

  
  
説明板           精霊塚と碑・説明板
城跡全景
岩瀬の町並み 
馬場家
馬場家
森家
町並み

近くの城・関連の城:日方江館