道案内 ←城跡 ←登り口 ←七曲の登り口 |
能越自動車道福岡インタを下り、新8号線に入り(または高岡市内より8号線を金沢方面に向かい)、新8号と旧8号の交差点(芹川東の信号)を新8号線へ進みます。(ここで旧8号線は県道42号となっています) 小矢部川を越えた西中野の信号で右折し県道32号線に入ります。右折してから6Kmほど先の三日市の信号で左折し県道359号線に入ります。しばらく行くとT字を左手にいきます。(右手は赤丸城側)加茂神社前を過ぎ五位庄用水沿いを進みます。超願寺前あたりの道沿いに鴨城の説明板が立っています。
城跡には、この超願寺横より登ると鴨城へ、説明板よりもう少し先の鳥倉集会所・鳥倉八幡宮より徒歩、あるいは、横の林道で尾根まで登り、更に分岐(主道は元取山の反対側に下りて行きます。分岐の林道は尾根筋を右に進みます。)している尾根の林道(この林道はRV車でないと無理)を車か徒歩で進みますと草山の古城跡・青石の要害・元取山山頂を経て鴨城に至ります。
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訪城備忘録 |
2004年08月
この日は林道を車で行き、分岐点で車を止めて尾根筋の林道を徒歩で進みました。10分ほど行くと小さな標識に「古城・武家屋敷・荻平の升形」という標識がある左への小道があります。この小道を5分ほど行くと草山の古城に達します。(小さな標識があります。) 古城は切岸にての防御の簡単なもののようです。草木が多くてなんとも歩き廻れません。この先に武家屋敷跡もあるようですが、藪状態で断念しました。林道に戻りさらに進むと「青石の要害」(見張り台でしょうかね)を越え、じばらく登ると元取山山頂に出ました。ここから小矢部の平野部が一望できます。残念ながら時間が無く、この先の鴨城には行けませんでした。ここ一帯は各所に標識・案内板もあり整備されておりますのでありがたいです。
2008年07月
この日も昇りませんでしたが、登り口近くを歩いてみました。説明板の近くに新しい鴨城の写真案内図が設置してありました。
2019年05月
願栄寺そばの登り口から雲龍寺跡経由の急坂で登り、七曲がり道で下りてきました。城跡は大きな二段の郭と南端に櫓台の高まり、その外側を空堀があるという単純な縄張りの城でした。北側にねらみ山砦と呼ばれる平坦地があり、出丸の役割のようです。ここから城跡を見ると切岸が高いです。
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主郭櫓台城址碑
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草山の古城跡
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この城跡は、加茂集落の背後にある標高154.6mの山上に位置します。主郭は、平坦地南西部にある小高い部分と考えられます。西側には約40mにわたる空堀が設けられています。また、西側の元取山(標高195.8m)には関連施設と考えられる元取山砦(元取山山頂より東に約150m地点・鴨城より西に約400m地点)が設けられています。この城跡に関する史料のなかで、貞治2年(1363年) 桃井直常の討伐軍に参加した二宮氏が「鴨城衆」を命ぜられ、鴨城衆とともに頭高城を焼き払ったと記録があります。また、別の史料には、長禄年間(1457〜1460年)加賀半国守護の赤松政則が五位庄高畑村(加茂)の上、城の平と称する地に居住したとあり、さらに延徳三年(1491年)の史料には「カモ山のフタツ城」と記録しています。こうした史料と縄張りの形態からあわせて考えると、この城は14世紀中頃〜15世紀末にかけて使用されたことが推定されます。 ≪現地案内板より 福岡町教育委員会≫
*補則:文中にある「カモ山のフタツ城」とは「鴨城と草山の古城」か?それとも「鴨城と赤丸城」? 文中の「城の平」と称する地とあるが現在の「城の平山」は赤丸城がある場所 <補則加筆は管理人>
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