越中 / 立山池田城



ファイルNo0039

                         土橋   

@ いけだじょう 
  別名 

A住所:中新川郡立山町池田 
B目標地点:立山カントリークラブ 
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林 

F遺構等:堀切・竪堀・土橋・碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/寺嶋氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  池田橋より20分

J撮影・訪問時期:2003年08月・2007年01月

  
塹壕のような登城道

【道案内】    

立山町役場から県道6号線を南下、または、北陸自動車道立山インタより県道3号線より県道6号あるいは町道で南下します。(国道41号線側からですと下大久保より県道35号線を東進し上滝を通過し常願寺川を越えて県道6号線を北上します <県道6号を南下しますと立山山麓方面です>)立山町方向から来ますと県道6号線の道源寺の信号あるいは町道の寺坪の信号で左折し県道169号線側に入ります。<ここまでは立山カントリークラブを目指して進んでいることになります> 県道169号線に入ると「越中陶の里」のある瀬戸地区に入ります。上瀬戸でT字交差点となり県道168号線へ右折します。2Km先、池田地区手前(池田橋のところ)で右に曲がる林道があります。林道をクランク状に登り、クランク状が終わったら200m先の左手(下の写真の場所)に入り、池のところで左手尾根に登ります。尾根道を8分程度進むと出丸と思われるピークがあり、この左手沿いをさらに登ると城跡です。



【現況・訪城記録】

【2003年8月訪城】
盆休みに行ったのですが、説明板のあるところから周囲を歩きながら登れる道をさがしてみましたが、夏場は草が多くて明瞭な登山道がありません。その上、近くで道路工事をしている方に昨日熊が出たからやめときなさいと言われてしまいました。それでも少しは登れないかと城山の山麓を巡る林道を歩いて見まして、駐車場になる広めの空間がある場所の反対側から取り付き登ってみましたが、夏草が胸までの高さで密集している状態でとても主郭まで行きつく事は無理でした。これ以上無理に進んで熊に出くわしても洒落にならんと断念致しました。

【2007年1月訪城】
この城は夏場は草木が密集する上、熊の出没が頻繁。春・秋は遠征来るには遠い・・・。帰省で戻った暖冬の正月しかこの城には来れないなって思っていました。この冬は暖冬で、年末29日に雪は降ったものの、その後は雨もあり、また、少し体をいじめたい気分もあって、正月二日に行って見ることにしました。池田橋の袂に車を止め、林道を登ります。以前はこの入り口に城址の説明板があったのですが、今は撤去されてました。凍結している林道をクランク状に400mほど進むと、左手の池に向かう道?(池に向かって平坦地があり、塹壕のような通り道)があります。池までは20センチほどの雪を踏みしめるように進みました。池に出たら、その左手斜面に獣道のような道があり、ここを尾根まで30mほど登ります。尾根に登ったら尾根道を進みます。雪はそれほどは積もっておらず歩きやすい道でした。池の反対側まで来ると、尾根道は出丸となっていただろうピークにぶつかります。城址にはこの左側斜面沿いに細い道があります。ピークを過ぎるとやや左手に一気に急勾配を登ると、塹壕のように両側が土塁になっている箇所を越えます。この先に自然地形なんやろうけど完全に城域とを隔てた堀切状の箇所に出ます。ここに土橋が明瞭に残ります。再度、塹壕のような道を抜けると、「道順」と書かれた標識があり左手斜面を登ります。古びたロープは設置してありましたが、急な斜面で、足場も不確かで、おまけに積雪。足を滑らすと谷底つう感じでした。斜面を登りきると削平地があり、ここより城郭の中心部です。高い切岸で、上の段、さらに主郭となります。主郭は細長く、最後部に櫓台の高まりがありますが、土塁・横堀などは無く、古式な感じです。櫓台の先はまた斜面となり、段郭1つがあってその先に大きな堀切が見えました。「道順」のところまでもどり、右手に行くと、少し下がったところに広い平場があり、千畳敷と呼ばれるようです。この後方に竪堀、その先に櫓台の高まりも認められます。 出丸であったろうピークの右手尾根に進むと、尾根は下り、土塁に囲まれたような箇所にでます。ここは前回来た時に千畳敷と思った箇所です。城郭の遺構か?畑かなんかの跡か?よくわかりませんが、本来の城域と構造が異なるため遺構ではないんでしょうな・・・。この城は、いつかは訪城したかった城跡だけに満足でした。


【歴史】

池田城は釜池の南方に見える城山(標高375m)山頂に主郭をおいた山城です。主郭から釜池方向に至る北方尾根には 五段の郭が階段状に連なり、続いて、堀切になった通路や竪堀・土橋等が設けられています。釜池の傍の高台には、物見の書くあったと見られます。池田集落の方向に下る東側の二つの尾根には、それぞれ階段状に副郭が設けられています。西方のよし谷には、千畳敷と通称されるもっとも広い郭があります。各郭は帯郭や堀切・通路等によって、分離と連結がはかられています。主郭から南方へ 座主坊や上末の集落に通じる山道があり、ここにも竪堀や土橋等が備えられています。資料には 池田城は国人領主の寺嶋職定(ともさだ)が越後上杉謙信の越中進攻に対し抗したとされます。また、佐々成政の弓庄城攻めの際にも戦場となったと記してあります。江戸期の文書には池田城を「金森中務」の城と書かれているが、詳細は不明です。      ≪現地説明板より≫

  
堀切

城址碑と説明板
  
  
縄張り図(現地案内板より)                          千畳敷     


塹壕状の登城道                        竪堀状の谷と小郭
千畳敷横の竪堀                        堀切状と右手櫓台
虎口形状                             主郭


池へ進む道(林道沿いから)     道案内     池(この左手尾根に登ります)


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